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『三世諸仏総勘文教相廃立』
(★1411㌻)
夢中の善悪の悟りの力を以ての故に、寤の本心の実相の理を始めて聞知せられし事なり。是の時に仏説いて言はく、夢と寤との二は虚事と実事との二の事なれども心法は只一なり。眠りの縁に値ひぬれば夢なり。眠り去りぬれば寤の心なり。心法は只一なりと開会せらるべき下地を造り置かれし方便なり此は別教の中道の理なり。 是の故に未だ十界互具・円融相即を顕はさゞれば成仏の人無し。故に三蔵教より別教に至るまでの四十二年の間の八教は皆悉く方便・夢中の善悪なり。只暫く之を用ゐて衆生を誘引し給ふ支度方便なり。此の権教の中には、分々に皆悉く方便と真実と有りて権実の法欠けざるなり。四教一々に各四門ありて差別有ること無し。語も只同じ語なり。文字も異なること無し。斯れに由りて語に迷ひて権実の差別を分別せざる時を仏法滅すと云ふ。
是の方便の教は唯穢土に有って総て浄土には無し。法華経に云はく「十方仏土の中には唯一乗の法のみ有りて、二も無く亦三も無し。仏の方便の説をば除く」已上。故に知んぬ、十方の仏土に無き方便の教を取りて、往生の行と為し、十方の浄土に有る一乗の法をば之を嫌ひて取らずして成仏すべき道理有るべしや否や。一代の教主釈迦如来、一切経を説き勘文し給ひて言はく、三世の諸仏の同様に一つ語一つ心に勘文し給へる説法の儀式なれば、我も是くの如く一言も違はざる説教の次第なり云云。方便品に云はく「三世の諸仏の説法の儀式の如く、我も今亦是くの如く無分別の法を説く」已上。無分別の法とは一乗の妙法なり。善悪を簡ぶこと無く、草木樹林にも山河大地にも一微塵の中にも互ひに各十法界の法を具足す。我が心の妙法蓮華経の一乗は、十方の浄土に周遍して欠くること無し。十方の浄土の依報・正報の功徳荘厳は、我が心の中に有って片時も離るゝこと無き三身即一の本覚の如来なり。是の外には法無し。此の一法計り十方の浄土に有りて余法有ること無し。故に無分別の法と云ふは是なり。此の一乗妙法の行をば取らずして、全く浄土にも無き方便の教を取りて、成仏の行と為んは迷の中の迷なり。我仏に成りて後に穢土に立ち還りて、穢土の衆生を仏法界に入らしめんが為に、
平成新編御書 ―1411㌻―
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