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『三世諸仏総勘文教相廃立』


(★1412㌻)
 次第に誘ひ入れて方便の教を説くを化他の教とは云ふなり。故に権教と言ひ、又方便とも云ふ。化他の法門の有り様、大体略を存して斯くの如し。
  二に自行の法とは是法華経八箇年の説なり。是の経は寤の本心を説きたまふ。唯衆生の思ひ習はせる夢中の心地なるが故に、夢中の言語を借りて寤の本心を訓ふるなり。故に語は夢中の言語なれども意は寤の本心を訓ふ。法華経の文と釈との意此くの如し。之を明らめ知らずんば経の文と釈の文とに必ず迷ふべきなり。但し此の化他の夢中の法門も寤の本心に備はれる徳用の法門なれば、夢中の教を取りて寤の心に摂むるが故に、四十二年の夢中の化他方便の法門も、妙法蓮華経の寤の心に摂まりて心の外には法無きなり。此を法華経の開会とは云ふなり。譬へば衆流を大海に納むるが如きなり。
  仏の心法妙と衆生の心法妙と、此の二妙を取りて己心に摂むるが故に心の外に法無きなり。己心と心性と心体との三は己身の本覚の三身如来なり。是を経に説いて云はく「如是相応身如来、如是性報身如来、如是体法身如来」と。此を三如是と云ふ。此の三如是の本覚の如来は、十方法界を身体と為し、十方法界を心性と為し、十方法界を相好と為す。是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり。法界に周遍して一仏の徳用なれば、一切の法は皆是仏法なりと説き給ひし時、其の座席に列なりし諸の四衆・八部も畜生も外道等も、一人も漏れず皆悉く妄想の僻目僻思ひ立ち所に散止して、本覚の寤に還って皆仏道を成ず。仏は寤の人の如く、衆生は夢見る人の如し。故に生死の虚夢を醒まして本覚の寤に還るを即身成仏とも平等大慧とも無分別法とも皆成仏道とも云ふ。只一つの法門なり。十方の仏土は区に分かれたりと雖も通じて法は一乗なり。方便なきが故に無分別法なり。十界の衆生は品々異なりと雖も、実相の理は一なるが故に無分別なり。百界千如・三千世間の法門殊なりと雖も、十界互ひに具するが故に無分別なり。夢と寤と虚と実と各別異なりと雖も、一心の中の法なるが故に無分別なり。
 

平成新編御書 ―1412㌻―

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