> ←次へ  TOPへ↑  前へ→  

『三世諸仏総勘文教相廃立』


(★1417㌻)
 無明は夢の蝶の如しと判すれば、我等が僻思ひは猶昨日の夢の如く、性体無き妄想なり。誰の人か虚夢の生死を信受して、疑ひを常住涅槃の仏性に生ぜんや。止観に云はく「無明の癡惑は本より是法性なり。癡迷を以ての故に法性変じて無明と作り、諸の顚倒の善・不善等を起す。寒来たりて水を結び変じて堅氷と作るが如く、又眠り来たりて心を変じて種々の夢有るが如し。今当に諸の倒は即ち是法性なり、一ならず異ならずと体すべし。倒起滅すること旋火輪の如しと雖も、倒の起滅を信ぜずして唯此の心但是法性なりと信ず。起は是法性の起、滅は是法性の滅なり。其れを体するに実に起滅せざるを妄りに起滅すと謂へり。只妄想を指すに悉く是法性なり。法性を以て法性に繋け、法性を以て法性を念ず。常に是法性なり。法性ならざる時無し」已上。是くの如く法性ならざる時の隙も無き理の法性に、夢の蝶の如くなる無明に於て実有の思ひを生じて之に迷ふなり。
  止観の九に云はく「譬へば眠りの法、心を覆ふて一念の中に無量世の事を夢みるが如し。乃至寂滅真如に何の次位か有らん。乃至一切衆生即大涅槃なり。復滅すべからず。何の次位の高下・大小有らんや。不生不生にして不可説なれども因縁有るが故に亦説くことを得べし。十因縁の法は生の為に因と作る。虚空に画き方便して樹を種ゆるが如し。一切の位を説くのみ」已上。十法界の依報・正報は法身の仏、一体三身の徳なりと知りて一切の法は皆是仏法なりと通達し解了する、是を名字即と為づく。名字即の位より即身成仏する故に円頓の教には次位の次第無し。故に玄義に云はく「末代の学者多く経論の方便の断伏を執して諍闘す。水の性の冷やゝかなるが如きも、飲まずんば安んぞ知らん」已上。天台の判に云はく「次位の綱目は仁王・瓔珞に依り、断伏の高下は大品・智論に依る」已上。仁王・瓔珞・大品・大智度論、是の経論は皆法華已前の八教の経論なり。権教の行は無量劫を経て昇進する次位なれば位の次第を説けり。今の法華は八教に超えたる円なれば、速疾頓成にして心と仏と衆生と此の三は我が一念の心中に摂めて心の外に無しと観ずれば、下根の行者すら尚一生の中に妙覚の位に入る。
 

平成新編御書 ―1417㌻―

provided by