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『上野尼御前御返事』
(★1574㌻)
№0460
上野尼御前御返事 弘安四年一一月一五日 六〇歳
牙一駄四斗定・あらひいも一俵送り給びて南無妙法蓮華経と唱へまいらせ候ひ了んぬ。
妙法蓮華経と申すは蓮に譬へられて候。天上には摩訶曼陀羅華、人間には桜の花、此等はめでたき花なれども、此等の花をば法華経の譬へには仏取り給ふ事なし。一切の花の中に取り分けて此の花を法華経に譬へさせ給ふ事は其の故候なり。或は前花後菓と申して花は前、菓は後なり。或は前菓後花と申して菓は前、花は後なり。或は一花多菓、或は多花一菓、或は無花有菓と品々に候へども、蓮華と申す花は菓と花と同時なり。一切経の功徳は先に善根を作して後に仏とは成ると説く。かゝる故に不定なり。法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り、口に唱ふれば其の口即ち仏なり。譬へば天月の東の山の端に出づれば、其の時即ち水に影の浮かぶが如く、音とひゞきとの同時なるが如し。故に経に云はく「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せずといふこと無けん」云云。文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり。
抑御消息を見候へば、尼御前の慈父故松野六郎左衛門入道殿の忌日と云云。子息多ければ孝養まちまちなり。然れども必ず法華経に非ざれば謗法等云云。釈迦仏の金口の説に云はく「世尊の法久しくして後要ず当に真実を説きたもうべし」と。多宝の証明に云はく「妙法蓮華経は皆是真実なり」と。十方の諸仏の誓ひに云はく「舌相梵天に至り」云云。これよりひつじさるの方に大海をわたりて国あり、漢土と名づく。彼の国には或は仏を信じて神を用ひぬ人もあり。或は神を信じて仏を用ひぬ人もあり。或は日本国も始めはさこそ候ひしか。然るに彼の国に烏竜と申す手書ありき。漢土第一の手なり。例せば日本国の道風・行成等の如し。
平成新編御書 ―1574㌻―
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