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『釈迦一代五時継図』


(★1667㌻)
 弘決の一の下に云はく「世人多く坐禅安心を以て名づけて発心と為す。此の人都て未だ所縁の境を識らず。所期の果無ければ全く上求無し。大悲を識らざれば全く下化無し。是の故に発心は大悲より起こるなり」云云。天台の止観の五に云はく「又一種の禅人他の根性に達せずして純ら乳薬を教ふ。体心踏心、和融覚覓、若しは泯若しは了、斯れ一轍の意なり。障難万途紛然として識らず。纔かに異相を見て即ち是道と判ず。自ら法器に非ず。復他に匠たるを欠く。盲跛の師徒二倶に堕落す。瞽蹶の夜遊甚だ憐愍すべし」云云。弘決の一に云はく「世人教を蔑ろにし理観を尚ぶは、誤れるかな誤れるかな」と。方便品云はく「諸法実相、所謂諸法、如是相、如是性、如是体、如是力、乃至、如是本末究竟等」云云。妙楽大師の金錍論に云はく「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土なり」云云。疏記の十に云はく「直ちに此の土を観ずるに四土具足す。故に此の仏身は即ち三身なり」云云。
    一 権実証拠の事
  玄義の二に云はく「則ち百法界千如是有り束ねて五差と為す。一に悪・二に善・三に二乗・四に菩薩・五に仏なり。判じて二法と為す。前の四は是権法、後の一は是実法」云云。釈籖の二に云はく「九界を権と為し、仏界を実と為す」云云。秀句の下に云はく「定性と不定性は位の高下に依り、成仏と不成仏は経の権実に依る」と。文句の九に云はく「漸頓の益は虚なり」云云。記の九に云はく「権を稟けて界を出づるを名づけて虚出と為す」云云。玄義の九に云はく「化他の因果は仏菩提を致すこと能はず。是の故に取って並べ用ひず。化他の権実も亦他をして極に至らしむること能はず。亦取るべからず」云云。止観の三に云はく「権の権は実の権に非ず、実の権と成ることを得べし。権の実は実の実に非ず、実の実と成ることを得べからず」云云。
    一 権実分別の事
  一に玄義の一に云はく「蓮の為の故に華、実の為に権を施すを譬ふ。権は即ち是苗なり。文に云はく、種々の道を示すと雖も其れ実には仏乗の為なり」云云。二に又云はく「華敷は権を開するを譬ふ。蓮現は実を顕はすを譬ふ。権実共に稲なり。文に云はく、方便の門を開いて真実の相を示す」云云。三に又云はく「華落は権を廃するを譬ふ。蓮成は実を立つるを譬ふ。実独り真米なり。文に云はく、正直に方便を捨てゝ但無上道を説く」云云。釈籖の一に云はく「開廃倶時なり。開の時已に廃するが故なり」云云。又云はく「開の時即ち廃す」と。
 

平成新編御書 ―1667㌻―

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