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『釈迦一代五時継図』


(★1668㌻)
 又云はく「既に実を識り已れば永く権を用ひず」云云。
    一 破三顕一の事
  方便品に云はく「一仏乗に於て分別して三と説く」云云。玄義の九に云はく「廃三顕実」と。又云はく「施権」と。方便品に云はく「二も無く亦三も無し。仏の方便の説を除く」云云。涅槃経の二十三に云はく「実には三乗無し。倒心の故に三乗有りと言ふ。一実の道は真実にして虚しからず。倒心の故に一実無しと言ふ」云云。方便品に云はく「尚二乗無し、何に況んや三有らんや」云云。
    一 入如来慧の事
  法華経に云はく「是の諸の衆生世々より已来常に我が化を受く。此の諸の衆生始めて我が身を見、我が所説を聞いて、即ち皆信受して如来の慧に入る。先より修習して小乗を学する者を除く」云云。文句の九に云はく「根利にして徳厚し。世々已来常に大化を受け、始めて我が身を見、即ち華厳を稟けて如来の慧に入る。菓熟して零ち易し」云云。釈籖の十に云はく「当に知るべし、法華を部に約するときは則ち華厳般若を破す」云云。
    一 余深法中の事
  嘱累品に云はく「若し衆生有って信受せざらん者には、当に如来の余の深法の中に於て示教利喜すべし」と。文句の七に云はく「示教利喜。示は即ち示転、教は即ち勧転、利喜は即ち証転なり」と。玄義の六に云はく「余とは方便を帯するなり。深とは中道を明かすなり。方便を帯して中道を明かすは即ち別教なり」云云。又云はく「但、為に実を弘むるに而も衆生信ぜず。須く実の為に権を施すべし」と。釈籖の六に云はく「有深復余とは即ち別教の法なり。入地を深と名づけ地前を余と名づく」云云。文句の十に云はく「汝能く余の深法を以て仏慧を助申せば、即ち善巧に仏の恩を報ず」云云。疏記の十に云はく「以偏助円は則ち此の意なり。此の経の上下一切皆然なり。
 

平成新編御書 ―1668㌻―

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