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『釈迦一代五時継図』


(★1670㌻)
 玄義の二に云はく「此の妙彼の妙、妙の義殊なること無し約教相待。前三を麁と為し後一を妙と為す。 但、方便を帯すると方便を帯せざるとを以て異と為すのみ約部相待。前四味を麁と為し醍醐を妙と為す。」云云。同十に云はく「初後の仏慧円頓の義斎し」一往の釈。 文句の五に云はく「今の如く始めの如く、始めの如く今の如し。二無く異無し」云云。弘決の五に云はく「或者未見とは尚華厳を指す。唯、華厳円頓の名を知って、彼の部の兼帯の説に昧し。全く法華絶待の意を失ふ」云云。釈籖の二に云はく「故に諸味の中、円融有りと雖も全く二妙無し」と。同三に云はく「若し但四教の中の円を判じて之を名づけて妙と為せば、諸経に皆是くの如きの円義有り。何ぞ妙と称せざる。故に須く復更に部に約し味に約して方に今経の教も円、部も円なることを顕はすべし。若し教に約せざれば則ち教の妙を知らず。若し味に約せざれば則ち部の妙を知らず」と。爾前の相待妙とは「前三蔵通別を麁と為し、後一円を妙と為す」云云。法華の相待妙とは「前四味華厳・阿含方等・般若を麁と為し、醍醐を妙と為す。三千塵点大通を以て元始と為す」と。
     第二化導始中間終霊山の初住不始終の相
  化城喩品の意なり 種熟脱を論ず 種は大通なり 熟は中間乃至今日の四味なり 脱は今の法華なり
  玄の一に云はく「異とは、余経は当機益物にして如来施化の意を説かず。此の経は仏の教を設けたまふ元始巧みに衆生の為に頓漸不定顕密の種子を作すを明かす」云云。釈籖の一に云はく「漸及び不定に寄すと雖も余経を以て種と為さず。故に巧為と云ふ」と。止観の三に云はく「若し初業に常を知るを作さずんば、三蔵の帰戒羯磨悉く成就せず」と。弘決の三に云はく「今日の声聞禁戒を具することは、良に久遠の初業に常を聞くに由る。若し昔聞かずんば小尚具せず。況んや復大をや」云云。弘決の三に云はく「若し全く未だ曽て大乗の常を聞かずんば既に小果無し。誰か禁戒の具不具を論ぜんや」云云。又云はく「羯磨不成と言ふは、所謂、久遠に必ず大無くんば則ち小乗の秉る法を成ぜざらしめん。本無きを以ての故に諸行成ぜざること樹の根無ければ華菓を成ぜざるが如し。
 

平成新編御書 ―1670㌻―

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