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『法華本門宗血脈相承事』


(★1683)
 此は久遠元初の自受用報身無作本有の妙法を直ちに唱ふ。
  此等の深意は迹化の衆普賢・文殊・観音・薬王等の大菩薩にも付嘱せざる所の大事なれば知らざる所の秘法なり。況んや凡師に於てをや。
    若し末法に於て本迹一致と修行し、所化等に教ふる者ならば、我が身も五逆罪を造らずして無間に堕ち、其れに随従せん輩も阿鼻に沈まん事疑ひ無き者なり。此の書一見の人々は、理普賢智文殊一言の薩埵、生死絶断の際、定光覚悟の大菩薩なり。伝教の云はく「文殊の利剣を六輪に通し十二の生類を切断す。一刀妙法を下して万法にすに、自然に由三諦を出す見聞覚知に明らかなり。此の一言の三際を示すは一言に如かず。若し未だ達せざるの者も一頌題目を開くに三般三諦同じく通知せざること無し。生仏自づから一現なる、是を一言の妙旨・一教の玄義と謂ふ」云云。天台の云はく「一言三諦・刹那成道・半偈成道」云云。伝教の云はく「仏界の智は九界を境と為し、九界の智は仏界を境と為す。境智互ひに冥薫して凡聖常恒なる、是を刹那成道と謂ひ、三道即三徳と解すれば諸悪ちに真善なる、是を半偈成道と名づく」と。今会釈して云はく、諸仏菩薩の定光三味も、凡聖一如の証道、刹那半偈の成道も、我が家の勝劣修行の南無妙法蓮華経の一言に摂し尽くす者なり。此の血脈を列ぬる事は、末代浅学の者の予が仮字の消息を蔑如し、天台の漢字の止観を見て、眼目を迷はし心意を驚動し、或は仮字を漢字と成し、或は「止観明静・前代未聞」の見に耽りて本迹一致の思ひを成し、我が内証の寿量品を知らずして止観に同じ、但自見の僻目を本として予が立義を破失し三悪道に堕つべし。故に天台三大章疏の奥伝に属けて、天台・
 

平成新編御書 ―1683―

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