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『法華本門宗血脈相承事』


(★1686㌻)
 只理の上の法相なれば本迹理観の妙法と顕はす。迹化は付嘱無きが故に之を弘めず。
   母の義なり地の義なり
 五、心法即身成仏の本迹 中間・今日も迹門は心法の成仏なれば、華厳・阿含・方等・般若・法華の安樂行品に至るまで円理に同ずるが故に、迹は劣り本は勝るゝ者なり。
   女の義なり
 六、心法妙法蓮華経の本迹 山家の云はく「一切の諸法は本従り已来、生ぜず滅せず性相凝然たり、釈迦は口を閉ぢ身子は言を絶す」云云。方便品には理具の十界互具を説く。本門に至っては顕本理の上の法相なれば、久遠に対して之を見るに、実相は久遠垂迹の本門なる故に色法に非ざるなり。
 七、從因至果中間・今日の本迹 像法の修行、天台・伝教弘通の本迹は、中間・今日の迹門を因と為し本門修行を果と為るなり。
 八、本果の妙法蓮華経の本迹 今日の本果は従因至果なれば本の本果には劣るなり。寿量の脱益、在世一段の一品二半は、舎利弗等の声聞の為の観心なり。我等が為には教相なり。情は迹は劣り本は勝るとなり。又滅後像法の相似・観行の解了の行益も以て是くの如し。南岳・天台・伝教の修行の如く末法に入って修行せば、帯権隔歴の行となりて我等が為には虚戯の行と成るべきなり。日蓮は一向に本、天台は一向に迹、能く能く之を問ふべきなり。
               疏の九に云はく「爾前は皆虚にして実ならず、迹門は一実一虚、
 

平成新編御書 ―1686㌻―

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