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『法華本門宗血脈相承事』


(★1692㌻)
 仏は本因妙を本とし、所化は本果妙を本と思へり。
 四十六、脱益の六重所説の本迹 已今を本と為し余は迹なり。「本迹殊なりと雖も不思議一」云云。理具の本迹なれば一部倶に迹の上の本迹なり。
 四十七、脱益の六即所判の本迹 妙覚は本、余は迹なり。
                玄の九に云はく「初めの十住を因と為し十行を果と為す、十行を因と為し十回向を果と為す、十回向を因と為し十地を果と為す、十地を因と為し等覚を果と為す、等覚を因と為し妙覚を果と為す」云云。
 四十八、脱益の十不二門の本迹 理の上の不変の不二にして、事行の不二門には非ざるなり。
 四十九、脱益の十界互具の本迹 理具の十界互具にして事行の互具には非ず。九界の理を仏界の理に押し入るゝ方ならでは脱せざるなり。
 五十、脱益の十二因縁・四諦の本迹 経に云はく「無明乃至老死」云云。苦・集・滅は迹なり、道諦は本なり。
 五十一、脱益の三土の本迹 報土は本、同居と方便は迹なり。
 妙楽云はく「雖脱在現」と。本迹理の上の一致なりと。心は寿量品も文は現量なれども、上行所伝の本因妙を唱へ顕はして後は、只久遠の教相にて成仏の肝要たる観心には非ず云云。
 籖の一に云はく「本中の体等は迹と殊ならず」と。脱益の妙覚乃至観行・相似等の妙法蓮華経は理に即して事を含む、然れども本迹一致に非ず。破廃して本を立つ云云。
 

平成新編御書 ―1692㌻―

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