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『就註法華経口伝』


(★1734㌻)
 何ぞ顕はれん。長風息むこと靡く空月常に懸かれり」と。此の釈之を思ふべし。隠とは死なり、顕とは生なり、長風とは我等が息なり、空月とは心月なり。法華の生死とは三世常恒にして隠顕之無し。我等が息風とは吐く処の言語なり。是南無妙法蓮華経なり。一心法界の覚月常住にして懸かれり。是を指して唯円教の理と釈せり。円とは法界なり、教とは三千羅列なり、理とは実相の一理なり云云。
    第二 即起合掌の事  文句の五に云はく「外儀を叙すとは、即起合掌は身の領解と名づく。昔は権実二と為す。掌の合せざるが如し。今は権即実と解す。二の掌の合するが如し。向仏とは昔の権は仏因に非ず、実は仏果に非ず。今権即実と解して大円因を成ず。因は必ず果に趣く、故に合掌向仏と言ふ」と。
  御義口伝に云はく、合掌とは法華経の異名なり。向仏とは法華経に値ひ奉るを云ふなり。合掌は色法なり、向仏は心法なり。色心二法妙法と開悟するを歓喜踊躍と説くなり。合掌に於て又二の意之有り。合とは妙なり、掌とは法なり。又云はく、合とは妙法蓮華経なり、掌とは廿八品なり。又云はく、合とは九界、掌とは仏界なり。九界は権、仏界は実なり。妙楽大師の云はく「九界を権と為し仏界を実と為す」と。十界悉く合掌の二字に納まって森羅三千の諸法合掌に非ざること莫きなり。総じて三種の法華の合掌之有り。今の妙法蓮華経は三種の法華未分なり。爾りと雖も先づ顕説法華を正意と為すなり。之に依って伝教大師は「於一仏乗とは根本法華の教なり○妙法の外更に一句の余経無し」と。向仏とは一々文々皆金色の仏体と向かひ奉る事なり。合掌の二字に法界を尽くしたるなり。地獄・餓鬼の己々の当体其の外三千の諸法其の儘合掌向仏なり。而る間法界悉く舎利弗なり。舎利弗とは法華経なり。舎とは空諦、利とは仮諦、弗とは中道なり。円融三諦の妙法なり。舎利弗とは梵語、此には身子と云ふ。身子とは十界の色心なり。身とは十界の色法、子とは十界の心法なり。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者は悉く舎利弗なり。舎利弗は即ち釈迦如来、釈迦如来は即ち法華経、
 

平成新編御書 ―1734㌻―

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