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『就註法華経口伝』


(★1796㌻)
 夫とは神力品に云はく「於我滅度後、応受持斯経、是人於仏道、決定無有疑」云云。此の文明白なり。仍って此の文をば仏の廻向の文と習ふなり。されば此の経を受持し奉る心地は如説修行の如なり。此の如の心地に妙法等の五字を受持し奉り、南無妙法蓮華経と唱へ奉れば、忽ちに無明煩悩の病を悉く去って、妙覚極果の膚を瑩く事を顕はす故に、さて去の字を終はりに結すなり。仍って上に受持仏語と説くなり。煩悩悪覚の魔王も諸法実相の光に照らされて一心一念遍於法界と観達するなり。然る間還って己心の仏果を礼する間、作礼而去とは説き玉ふ。「彼々三千互遍亦爾」の釈之を思ふべし。秘すべし秘すべし、唯授一人の相承なり、口外すべからず。然れば此の去の字は不去而去の去と相伝するを以て至極とするなり云云。
 
    無量義経五箇の大事
    第一 無量義経徳行品第一の事
  御義口伝に云はく、無量義の三字を本迹観心に配する事、初めの無の字は迹門なり。其の故は迹門は理円を面とし不変真如の旨を談ず。無常の摂属なり、常住を談ぜず、但、是法住法位世間相常住を明かせり。是理の常住にして事の常住に非ず。理の常住の相を談ずるなり。空は無の義なり。但し此の無は断無の無に非ず。相即の上の空なる処を無と云ひ空と云ふなり。円の上にて是を沙汰するなり。本門事の常住無作の三身に対して迹門を無常と云ふなり。守護章に云はく「有為の報仏は夢中の権果、無作の三身は覚前の実仏」云云。今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱へ奉る者を無作の三身覚前の実仏と云ふなり云云。
    第二 量の字の事
 

平成新編御書 ―1796㌻―

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