『金沢法難を尋ねて』

かつて妙教誌の連載に、金沢法難で子孫への遺言の写真があった筈だと、探していたら、本になって纏められていたんですね。さきほど手に取って、その序を読み、大変感銘を受けたので、ここに紹介しておこうと思います。

『金沢法難を尋ねて』

 向 敏子

 序

私は金沢市で生まれ、小さい頃から、二百数十年も日蓮宗身延派の信仰を続けていたおじ夫婦に育てられました。

 昭和四十五年、二十二歳で入信した私は、おじ夫婦に日蓮正宗と日蓮宗の違いと正邪を話して、折伏したところ、勘当されてしまいました。

 以来三十一年、私は、主人と結婚し子供二人に恵まれ、始めは苦しい生活でしたが創価学会員としてまじめに日蓮正宗の信心に励んだ結果、生活環境はグングン良くなり、喜んで折伏にも出かけ、現在まで下種折伏した方は一千人を数えるに至っています。

 役職は主人ともどもB長兼任の地区幹事で、また公明党員でした。さらに私は文化本部の国際部員として、世界三十二か国の数百人の方々を金沢の妙喜寺や創価学会石川文化会館へ案内したり、御本尊様との仏縁を結ばせるべく下種折伏の仏法対話をし、広布の第一線で諸活動に全力で取り組んできました。

 総本山の毎月の登山会にも数多く参詣し、戒壇の大御本尊様の御開扉をいただくとともに、多くの方々の功徳談を聞いて嬉々として地元に帰り折伏に励むという、喜びあふれる日々を過ごしました。

 そのような中で、とつぜん今回の創価学会問題が起こり、平成三年一月からの聖教新聞の記事を見て、私はわが目を疑いました。宗門批判の記事の誤りを赤鉛筆で訂正したところ、たちまち紙面が真っ赤に染まってしまうほどひどい内容で、私は宗門外護の団体であるはずの創価学会が、宗門攻撃を始めたことに対し、樗然としてしまいました。

 北陸方面は二月半ばまで表立っては静かでしたが、それ以降一気に宗門を攻撃するようになりました。

 それまで私は、池田名誉会長には特別の考えがあるものと信じてきましたが、二月半ば以降は改めて宗門・学会の双方の資料を公平に読むことにしました。

 その月の終わりころ、私は、宗門からの文献を初めから開いてみて、この問題がどうして起こっているのか、その原因がようやくわかってきました。

 学会の昭和五十二年路線の問題のとき、私は「学会は正義の団体で良い人がたくさんいるから絶対に誤りはない」と思い、ひたすら「今に良くなる」と自分に言い聞かせ納得してきました。こういう人は今回の問題でも組織の中にたくさんいましたが、しかし創価学会の指導をそのまま聞いて満足していると、いつの間にか盲信になっていくのです。毎日毎日、聖教新聞に打ち出される大見出しを見ていると、人間は誰しも洗脳され、本山があたかも誤りであるかのような印象を持たされてしまうからです。

 私は昭和五十四年にアメリカヘ行きましたが、日本に帰ってきて「世界広布」の大きな見出しで連日報道されている聖教新聞の記事を見たとき、実際この目でみたアメリカのNSA(日蓮正宗アメリカ)の現状とあまりに相違しているのに疑問を感じたものでした。

 私は、「自分達は世界広布の偉業をなしている」と思い「創価学会は世界一だ」とその正義を確信し、家族のことなど二の次にして、連日「会合会合」で夜遅く疲れ切って帰る日々を送っていましたが、しかしアメリカの現状は惨憺たるものでした。どんなに日本で聖教新聞が、明日にでも広宣流布が達成するかのように大きく報道しても、しょせん誇大広告にすぎません。新聞は正しく記事が書かれなければならないのです。じっさい一流新聞は真実に基づいてキチッと書かれていますが、私達が「日本の三大新聞の一つ」と口コミで勧めていた聖教新聞は、まったくのにせ物でした。だから読者からたくさんの苦情がでるのです。苦情が出るたびに、大幹部は「聖教新聞はすごい新聞なのだ」と指導しますが、いつも私達は「読まないで廃品回収に出しますよ」とか、「貴女への義理で取るだけですよ」と、毎回読者から苦情を言われるだけでした。

 現在学会では、いっしょうけんめい牛乳パックを回収し、口を開けば「地球環境を守る」「地球資源を守る」「地球を救う」などと言いますが、その一方で、読みもしない本や新聞を買わせて、どうして紙資源であるアマゾンの森や地球を救うことができるのでしょうか。

 いまだに学会員は、聖教新聞を立派な新聞のように宣伝し、「日本の有数の知識人も目を通しているのよ」と言いながら二、三名で連れ立って回っています。

 ほんらい、日蓮大聖人の仏法が広宣流布することによって、人々が幸せになり世界が平和になるのであって、信心の目的は、決して新聞がトップになるためでも、何千億円の財務を集めるためでもありません。

 会員に対し、通常は、新聞の部数や折伏の成果を煽り、選挙が始まる半年前からは「F(フレンド・浮動票)取れ、F取れ」との指令のみで、戦い終っても温かい言葉などかけられたことはありません。民音の券も毎月のように買わせますが、幹部ほど買わないのです。出版物についても「本は今後勉強のため入用ですから」といって買わせますが、じっさいは読むこともなく溜っていくばかりです。

 「新興宗教ではありませんよ」「お金?一切いりませんよ」。こう言いながら、その裏で「すぐ財務部員にするように」との上からの言葉。およそ世間の常識を超えています。

 このように、今からして思えば間違いだらけの組織でしたが、私は二十二歳の時から「創価学会が大好きだ」との思いで何の疑問も持たず、「毎日会合に追われる生活も正義のためだ」と喜んで、「年をとって体が動かなくなるまでは学会とともに頑張って行こう」と、まじめに活動してきました。今までの苦労はいったい何だったのでしょうか。

 平成三年三月十六日、石川文化会館にて船津副会長出席のもと会合が行われました。内容は、壮年部・婦人部・男子部・女子部の四者の代表が、「宗門は檀徒作りをしている」等と針小棒大に悪口を語るもので、実にひどいものでした。

 多くの学会員は、会合に結集させられ一方的に宗門の批判を聞かされて拍手を強要されているのであり、大幹部が北陸の宗門御僧侶に対する非難中傷を続け、「皆さんいかがでしょうか」という決まり文句に、思わず反射的に全員手をたたいてしまう有様です。

 私は、あまりのひどさに唖然としてしまいました。しかし私が拍手をしなかったのが相当目立ったのでしょうか。次の日、実に数年ぶりに支部長が我が家に訪ねてきました。会合で見かけても、多忙なのか、我が家へなど来たこともない人でしたが、「宗門問題をどう思うか」とか「正しいのはいずれか教えてほしい」などと聞いてきたのです。私は支部長に「本山が正しいのです」とはっきり言ってあげました。ところがその途端、支部長は顔色をかえ満面に怒りをあらわにしたので、私は上の方へ報告するためにきたことが理解できました。二時間ほど話をしたあと支部長は、私に「今学会をやめないように」と強く申し渡して帰っていきました。

 しかし皮肉なことに、すでに私は三月十六日の会合によって脱会を決意していたのです。会合の途中、宗門誹謗の大拍手をさせられているその音を遠くに聞きながら、私はひとり胸中で考えていました。「この指導はどこか違う、学会は毎回の指導に『恩師戸田会長が……』と話しているが、もし戸田会長が御存命中なら怒りだすだろうし、組織はここまで堕落しなかったであろう」と。

 今学会は「戸田先生が生命より大事にされた組織云々」と指導していますが、それは正義の組織であった時を指すのであって、本山を攻撃する現在の組織を言うのではありません。そうしたことも見抜けなくなるのが、多数が一緒に洗脳される怖さというものです。誤った指導者に引きずられる時は、組織悪になってしまうのです。戸田会長が常々本山を守るように指導していたことを、私は心静かに考えていました。

 「ああ三月十六日なのか」

 この日は、私が創価学会を脱会するしかないという断腸の思いの日となりました。会場の私の横には、石川広布草創の方々の名前が刻まれた、永遠に残す金文字のボードがありました。

 私の家も、家族・親族の名がその中に記されています。その書き始めの碑文の中に、「日本海の波涛高きこの厳寒の北陸の地に、昔金沢法難の信者達が生命かけて正法を守ったこと」が刻まれています。

 今まで北陸での大きな会合では、「金沢法難の方々ありて」と信心指導していましたが、なんと私が脱会したとき県長は、「いかに金沢法難をもってしても学会は崩れない」等と言い、法難の意義を軽んじていたのです。

 それは前々からの指導と正反対のことで、学会の御都合主義にはいまさら驚きませんが、手取屋県長が言った「学会をやめると後悔しますよ」との言葉は、脅迫としか言いようのないものでした。学会は、「ウソも百回言えば本当になる」と、くり返しウソを言いますが、ウソは百回言ってもウソでしかありません。

 大幹部は、聖教新聞等の意図的に曲げた記事を信じて本山の悪口を言い不幸になる学会員の悲しみや、日本中、いや世界の人々が親子・夫婦・兄弟で仲違いしている不幸を考えたことがあるでしょうか。私は、「池田氏やその回りの人々が、会員のことを本当に考えていたなら、こうはならなかったのだ」と、今こそ声を大にして言いたいのです。

 ところで私は、金沢法難史の調査を八年以上してきた石川郷土史家です。

 歴史には真実しか通用しません。熱原法難・金沢法難・幾多の法難は、命をかけて正法を守り信心してきた先達の真実の歴史なのです。

 私は、金沢法難に関して、墓・寺・子孫に至るまで、あらゆる事を調べてきました。そのうえで「上七代下七代」の金言と、過去世からの因縁というものを痛切に感じたのです。

 すべての現証は過去世からの因縁であると考えるとき、創価学会が現在何百万人の巨大な組織を誇ろうとも、しょせん宿業を背負った一人ひとりの人間の集まりでしかなく、生前の業によって、臨終は別々に因果の理法によって厳しく裁かれていくのです。

 いかに学会が「大聖人直結」と叫び、離脱僧が「宗門改革」と叫んでみようとも、大御本尊様まします総本山・富士の正流は、六十七世の日顕上人猊下様に法統連綿・血脈相承され未来永劫まで続いていくのであり、何ら変わることはありません。ただ変わっていくのは創価学会員の信仰の価値基準であり、それにより無間の悪業が積み重なっていくのみです。

 金沢法難の信者達は、百五十年という永きに渡り、冬の時代を、誰に誉められることもなく、ただ信の一字で生きぬいてきました。

 登山禁止の法度(武家社会の法律)の中で、生命がけでその誠を貫き、総本山までかけぬけた、その尊い信心をされた方々の墓が雪の北陸にあります。

 北陸の地に生まれた牧口・戸田両会長。牧口会長は三百年前から信心を始めた法華講の家に生まれ、戸田会長も石川の法華講強信の武士達の町に生まれました。

 創価学会の始まりも、三谷素啓氏というひとりの法華講員の折伏によるものであり、本山にある三谷家の墓に並んで建つ牧口会長の墓を見るとき、本山が正しいことは歴史がすべて証明していくことと確信するものです。

いまだ創価学会に属し、知らぬ間に大御本尊に弓引く大謗法を犯している人々が、一人でもその過ちに気が付き正しい信心に立ち返れることを念願致します。

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