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御聖誕八百年を寿いで今こそ我こそがの変更点

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!!御聖誕八百年を寿いで今こそ我こそが
SR寺支部W辺T也

 皆さんこんにちは。SR寺支部のW辺T也と申します。
 本日は、これまでの信心と今後の決意をお話しさせていただきます。

!!入信の経緯

 私は平成二十七年六月十三日、京成八千代台駅にて壮年のMOさんに声を掛けられ、そのまま一緒にSR寺に向かいました。御尊師方とお寺にいらした御信徒方の温かなお言葉に後押しされて、その日に入信いたしました。
 御授戒の時、理由は分かりませんが、涙が溢れてきたことを鮮明に覚えております。
 入信以前の私は、信仰への興味が強くあったものの、誤った宗教観を持っていました。
 信仰とは、修行して何か超人的な力を得ることだったり、心を静めて山に龍もり、欲望を断じて厳しい修行をすることだったりと、一部の人達のみが許される領域だと思っていました。
 そのような世界への憧れから、恥ずかしながら、とにかくお参りすれば御利益があると思い、無差別に様々な神社仏閣その他、宗教施設を訪れては、一生懸命に手を合わせておりました。
 SR寺にはじめて参詣させて頂いた時は、何とも言えない穏やかな空気に包まれるような感覚があり、御尊師方に
「誰だって霞を食べては生きていけない」
と言うことや、
「他宗の総本山が山の上にあるのに対して、日蓮正宗は、差別なく、全ての民衆を救う仏様の教えだから、山の上でなく平地にある」
等々、力強く、地に足のついたお言葉を聞き、自分自身が、浮き足だった、か弱い宗教観を持っていたことに気付かされ、妙に納得出来たのでした。

!!入信前の私

 さて、当時の私は、自分に自信が持てず、人の目を気にしがちで、常に何か頼れるものを求めていました。情緒不安定で、人としっかりコミュニケーションを取ることの出来ない臆病な人間でした。
 学生時代、孤独感がありながらも、誰とも話をしない日々もあり、
「何のために生きているのだろうか」
と答えを求めて、宗教や哲学の本を読みあさり、どつぼにはまっていきました。
 成人してからも、学生時代の延長線上にあって、ひどい時には、ストレスが爆発して、家の中で奇声をあげ、壁に穴を開け、しまいには泣き叫ぶ始末。今では考えられませんが、そんな自分を変えるためにもと、多くの神社仏閣にお参りし、少しの間、良くなったと感じるのですが、当然根本からの問題解決には到りませんでした。むしろ、自分の欲望を増長させ、どんどん悪くなっていきました。
 光を求めていながらも、薄暗いモヤの中で悶々と生きているような、また、人生の羅針盤を持たずにぐるぐるさまよっているかのようでした。

!!信心を始めて

 そのような私でありましたが、有難くもMOさんの折伏によって唯一、本物の信仰に巡り会うことが出来ました。本当に感謝しています。入信して間もない頃は、MOさんが、私の生活のことも気に掛けてくださり、仕事や恋愛、これからの人生の事など、親身になってアドバイスしてくださいました。
 話の中で、いつも口癖のように、
「大丈夫、御本尊様にお任せ!」
とお寺の雰囲気と同じように、穏やかな笑顔で語ってくださいました。また、良い具合に力が抜けた感じで接して下さり、その度に、気持ちがほぐれて心が温かくなり、お陰様で自然と信心に馴染んでいくことが出来ました。
 そして、徐々に、お寺に参詣して御法話を聞き、講中の方々とのふれあいを通して信心の大事さに気付かされ、自分を本当に変えていくため、とにかく素直に言われた通りにやって見ようと思い、日々の勤行・唱題・折伏・育成と自分なりに実行に移していきました。
 最初の頃はどう動いて良いのか分からず、申し訳ないと思いながらも、なかなか折伏に踏み出せずにいました。

!!折伏に挑戦

 そんな時、先輩のO戸副講頭から、色んな駅に出向き、日蓮正宗のリーフレットを配ることを教えていただき、「これなら自分にも!」と気軽な気持ちで一緒に参加していくようにしました。すると徐々に、不思議と信心の話もいくらかは相手に伝えられるようになっていきました。
 同時に、未入信の両親や祖母にも信心のお話をしていきました。とりわけ母は、聞く耳を持ってくれず、折伏の難しさを痛感したのと共に、自分自身がこれまでに積んできた罪障の深さを思い知らされました。
 母に初めて信心の話が出来た時には、もの凄い猛反対と、「また、そういうのに頼って、弱いね」と自分の弱みをつつかれ、手も足も出ないといった感じでした。後になって、O戸さんはじめ先輩方に、それが罪障消滅している姿だと教えて頂き、「逆に良かったね」と励まされ、それからは何とか解ってもらいたいとの思いで、喜びを持って何度も話をしていきました。
 折伏をしていくと、自分自身の至らなさ、足りない部分にも気付かされ、謙虚になれると思います。母は自分にとって身近にいる善知識であると捉えられるようになり、折伏をさせて頂けることに喜びと感謝の気持ちも芽生えてきました。
 一方父は、信仰に対する興味が薄いこともあり、あまり反対はされませんでしたが、やはり、聞く耳を持とうとはしてくれませんでした。それでも、亡くなった祖父や先祖の回向をしたいとの気持ちから、お盆とお彼岸の法要には参加してくれました。お参りした帰りには、不思議と信心の話も聞いてくれて、御法話の内容で気になったところを質問してくるようにもなりました。その都度、先祖供養の大事さや謗法の恐ろしさを伝えていきました。
 そのような中で、徐々に信心へ理解も示してくれて、令和元年五月十二日、晴れて父の入信が叶い、W辺家代々の宗派であった真言宗の本尊、並びに仏壇等もきれいさっぱり取り払うことが出来ました!
 それから、数日と経たないうちに、講中の方からも「顔色が変わったね」と言われ、自分自身ずっと気付かずに、何か縛られていたものから解放されたような感覚で、本当に心がスッキリとして、家の中の雰囲気も変わり、改めて、謗法の恐ろしさを知りました。

!!人生が前に動き出した

父の入信前後には、私の人生にも色んな変化が訪れてきました。総本山任務にも携わらせて頂く中で、実家の引っ越し、運転免許や資格の取得、就職、と人生が前に動き出しました。
 そんな中、青年部の仲間で訪問折伏に励んでいたある日のこと、猛烈な反発を受けた学会員宅を後にした直後、ある方を通じて、長久寺様の御信徒であったS原T香さんという方から電話が入りました。その方のことをよく知らなかったので、「何でかな?」と思いながらも、「他支部の青年部同士、交流を深めましょう!」ということで会うことになりました。実は私が、数年前の地方部総会で体験発表をさせて頂いた時の司会を彼女が務めていたことや、街頭での折伏で一、二度会っていたことを後になって知り、不思議な巡り合わせを感じました。その一本の電話が機縁となって、お付き合いが始まり、昨年の九月二十六日、めでたく、当SR寺の御宝前にて、厳かに結婚式を執り行って頂きました。思ってもなかった展開で、御本尊様の広大無辺なその力用に、感動とただただ感謝しかありません。
 実は、この結婚に際して、あれだけ入信を断固拒否していた母でしたが、不思議と信心に対する反応も柔らかくなっていき、何よりT香さんが我が家に来てくれることを大変に喜んでくれたのです。
 そして、T香さんも、母の入信を本気で願い折伏してくれて、結婚前の令和二年二月二十二日、念願であった母の入信が叶いました!
 当日は御住職様が一時間以上かけて懇切丁寧にお話をして下さりました。またその間に、婦人部長様をはじめ普段お世話になっている御信徒方数名が唱題して待っていて下さりました。大変心強く、御授戒の間も御祈念して頂き胸が熱くなりました。本当にありがとうございました。
 次は、まだ未入信の祖母を何とか縁出来ますよう頑張りたいと思います。
 御法主日如上人猊下様は、
「動かなければ何もできないのであります。折伏とは、折伏をして、初めて折伏と言うのであります」
と御指南下さっております。現在は、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、世界中が大変な状況にありますが、一日も早く収束させるためにも、今こそ、我こそが、と先立ちて、御住職様の「決めて、祈って、動く!」の御指導をモットーに、日蓮大聖人御聖誕八百年の大佳節の二月十六日までに、まず一人の方を折伏し、また家庭訪問を通して、青年部活動者の増加を図って参ります。
 ご清聴誠に有難うございました。
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R0301千葉布教区推進会報140号より
R0301推進会報140号より

大変心を打たれました。