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如実に顕われたニセ本尊の害毒

如実に顕われたニセ本尊の害毒

 現証が語る法華講と学会の明暗

常泉寺支部 I条H文さん

ニセ本尊への真剣な唱題の結果

 私は昭和五十五年、創価学会三世として生まれ、その年に御授戒を受けました。物心ついた頃から、大聖人様の偉大さ、御本尊様の素晴らしさを感じていました。
 ところが、私が小学校五年生の頃、創価学会日蓮正宗から破門になりました。まだ小学生だった私には、何があったのかを理解することはできませんでしたが、今になって振り返ってみると、その頃から徐々に、私の家庭は荒(すさ)んでいきました。
 とくに、中学生の頃、我が家の御本尊が、日顕上人書写御本尊様から学会が勝手に作成したニセ本尊に変わってからは、家庭の状況は最悪で、地獄のような毎日でした。
 それでも私は、「学会は大聖人の御心に適った正しい信仰をしている」と信じ、高校卒業の頃から八年間ほどは、学会男子部の熱心な活動家になっていました。
 活動していく中で見えてきた、聖教新聞の多部数購読、財務のノルマ、選挙になればF票(フレンド票)Z票(期日前投票)取りの一色になる姿など、様々なことに不満や疑問を感じながらも、無理やり自分を納得させ、懸命に活動していたのです。
 その当時、勤めていた職場に不満はなかったのですが、一生続けていける仕事を見つけたいと思い、学会のニセ本尊に真剣に祈りました。そこまで自分のことを真剣に祈ったのは初めてでした。
 ところが、唱題を続けて一ヵ月、仕事が見つかるどころか、徐々に気力がなくなり、しまいには自殺願望が心の中を支配し、暇を見つけてはインターネットで自殺者募集のサイトを見て、具体的にどういう方法で死のうかと思い詰めていきました。そして、ふと我に返った時は、「これが学会の信仰を頑張った結果なのか」と、さらに落ち込みました。
 幸せになれるどころか、精神を破壊されかけ、
「このまま学会の活動を続けていけば、廃人のようになってしまう」
と思った私は、学会組織から距離を置き、ニセ本尊への勤行唱題も一切しなくなりました。
 すると、不思議と気持ちも落ち着き、あれだけ心を支配していた自殺願望も徐々に薄れていったのです。

違和感覚えた学会の”本尊観”

 創価学会のニセ本尊を拝まなくなったのは良いのですが、当時はそれがニセ本尊であることなど知る由もなかった私は、時間が経つにつれ、いったい何が正しい信仰なのかがわからなくなり、日蓮大聖人様、法華経、そして仏法そのものをも否定する考えになっていきました。
 それでも宗教に対する興味は尽きず、勧誡を受けるまでの約十年間は、キリスト教から仏教まで、とにかく「五重の相対」を地でいくように、一いち調べていきました。         
 そのように遠回りをしてしまいましたが、必然の流れで、最終的には、やはり大聖人様の仏法、ひいては日興門流が正しい宗教である、という結論に辿り着きました。
 そして、日興門流の中でも、どこが正しく大聖人様の仏法を実践しているのかを調べている時、創価学会が”創価学会仏”なる、聞いたことのない新しい”仏”を言い出したことで、大きな違和感と気持ち悪さを感じ、もはやこの組織にはいられない、と思ったのです。
 また、創価学会が会則を変更し、その中で大御本尊を否定したことから、現在の学会の本尊観を糾明したいと思い、何人かの学会員に尋ねましたが、おかしなことに、人によって本尊観が違いました。皆が迷っている証拠です。大聖人様は『開目抄』に、邪宗の姿を指して、
 「諸宗は本尊にまどえり」
 (御書五五四頁)と御指摘されていますが、まさに創価学会はその”諸宗”の側、すなわち邪宗になったのだ、と思いました。  
 逡巡(しゅんじゅん)を重ねて、「やはり正当な宗派は日蓮正宗なのではないか」という思いになりましたが、小学生の頃からの創価学会の情報操作による洗脳は恐ろしく、日蓮正宗に対する抵抗感を拭(ぬぐ)えずにいました。ところが、そのような時、幹部会にて男子部長の竹間氏が
「邪宗門と離れ二十五年」
などと発言したのを聞き、そこまではっきりと御宗門を邪宗と言うのなら、改めて一から日蓮正宗について調べてみよう、という気持ちになったのです。平成ニ十八伴十二月頃の話です。

大歓喜の中での勧誡

 調べれば調べるほど、日蓮正宗に疑義を挟む余地はなく、創価学会の言っていることは嘘だらけだ、とわかりました。創価学会が破門されるまでの経緯も改めて読みましたが、増上慢池田大作の発言をはじめ、破門に到るのは当然の結果だと思いました。
 そして、平成二十九年の初頭、創価学会を脱会し、日蓮正宗に帰伏することを決意しました。
 そのことを親しい友人や、いまだ学会員である母と叔母に宣言すると、脱会を強く引き止められましたが、正しい信仰をしたいとの思いから、「一日でも早く日蓮正宗に帰伏できるように」と、大御本尊様のおわします大石寺の方に向かい祈り始めました。
 さらに、五月頃には、大切にしまっておいた大石寺版の古い御経本で、五座・三座の勤行を始めました。
 六月のある日、きちんと開眼供養されたお数珠を求めようと、最寄りの日蓮正宗の仏具店をインターネットで調べたところ、常泉寺の近くの岡本仏具店を見つけました。所用のついでにお数珠を買いに行こうと決めると不思議と心が浮き浮きしてきて、はやる気持ちで早めに外出し、電車を途中下車してその仏具店に寄りました。
 その際、お屈の方から所属寺院を尋ねられましたので、

「じつは学会なんです。早く勧誡を受けたいと思っているのですが・・・」

と悲しく答えました。すると、

「常泉寺で勧誡受けて行きなさいよ」

と言われたのです。
 前もって手続きが必要なものだと思っていた私は、今からすぐにでも勧誡が受けられるということに驚きました。
 そして、岡本礼子さんのご紹介で、勧誡を受ける運びとなったのですが、常泉寺の敷地に入っただけで気持ちはとても高揚しました。本堂の荘厳な御宝前、御僧侶の導師に合わせて読経唱題すると、さらに歓喜で心が満たされました。
 勧誡を受けている間は、自然と、「大聖人様、戻ってまいりました」という気持ちになり、本当に大歓喜の中での勧誡式でした。平成二十九年六月二十二日のことでした。
 その歓喜を伝えたく、隣に住む叔母といとこに話したところ、二人とも納得してくれ、七月八日、私にとって生まれて初めての御報恩御講に叔母といとこも共に参加し、終了後、ニ人とも勧誡を受けることができました。
 さらに、七月十五日には、叔母の長女とその子供達三人も勧誡・御授戒を受け、同時に、私も御本尊様をお貸し下げいただきました。
 また、その月の支部登山にも参加させていただき、二十八年ぶりに大御本尊様の御開扉を受けたのですが、御法主日如上人猊下大導師のもとで読経唱題させていただき、涙が出てきました。
 総本山は、どこも本当に綺麗に整備され、荘厳でとても感動しました。創価学会がしきりに喧伝していた「野犬とカラスがうろつく、荒れ果てた大石寺」とは一八〇度違う、ということを確認するとともに、学会は、一日見れば子供でもわかる、幼稚で愚かな嘘を血眼になって言っていたのだ、とあらためて思いました。
 脱会をしてから、学会幹部の説得があったり、数カ月前までは「財務をしてください」などとお願いをしに来ていた地元組織の人達が、すれ違っても手の平を返したように無視する態度には笑わされました。

謗法から抜けて知った害毒の怖さ

 お寺では、御僧侶方や講中の方々が優しく手ほどきをしてくださり、学会時代には知り得なかった教学や化儀などを教えていただき、私がずっと求めていた信仰はやはり日蓮正宗にあったのだ、と確信しました。
 また、勧誡を受けてから今までの約二年半の間、たくさんの功徳をいただきました。
 講中の方と折伏や家庭訪問などを一緒にさせていただき、個人としても縁故の方二〇人ほどを折伏してきたのですが、そういった活動をしていく中でとても不思議だったのが、徐々に頭の中がすっきりとし、少しずつ霧が晴れていくような感覚を覚えたことです。
 じつは、ずっと無自覚だったのですが、頭の中がすっきりとしてきたことで初めて、「これまでは頭にモヤがかかっていた状態だったのだ」と気付いたのです。まさに、御書

「辛(から)きを蓼葉(りょうよう)に習ひ臭きを溷厠(こんし)に忘る」(御書二四二頁)

と仰せられているとおりで、辛い物でも食べ慣れていくと辛さを感じなくなるように、謗法の毒気も慣れてしまうと自分では気づけなくなる、ということでありましょう。
 また、法華講員となってからは、希望どおりの職場に転職することができ、収入も増えましたし、何か困ったことがあっても、うまく円に収まるように導かれていくのです。
 創価学会でたくさんの謗法を犯してしまったにも拘(かか)わらず、今、御本噂様は守ってくださっているのだ、と日々実感しております。
 私は、正法に戻るまで長い道のりであったと思う反面、「宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年」の大佳節に向かうこの時に、正統門流たる日蓮正宗に身を置き、折伏できる幸せを感じております。本年、「御命題達成の年」は、多くの人と縁して慈悲の折伏行をし、結果をもって仏祖三宝尊の御恩にお応えいたします。


慧妙20200216号より
[体験,ニセ本尊]

最終更新時間:2020年02月19日 10時17分25秒