皆様こんにちは 妙広寺支部のk嶋y子と申します。
本日は息子の得度と、自らの信行について発表させて頂きます。短い時間ですが どうぞよろしくお願い致します。の弘宣改め明制さん
産まれた子を海外広布のお役に
私は海外サポートが縁で台湾出身の主人と国際結婚しました。夫婦別姓の為、名字は粛と言います。
主人と息子、七歳の娘の四人家族です。
結婚式は台湾の南部高雄の法宣院様で執り行って頂き、そのまま二年ほど生活しておりました。
台湾で御主管方は北京語を流暢に話されますが、御講の法話は日本語で現地メンバーが通訳をしておりました。
海外サポートでもその国の国籍を持つ御僧侶の必要性などを耳にしており、
もし私に子供が産まれたら二力国の文化の間に産まれた子を海外広布のお役に立てるように、
そしてもし叶うのであれば得度してほしいと願っておりました。
今までの事
今回のこの発表を受けまして、今までの事を回想してみました。
小さい頃からバリバリ勤行をするような子で、と言いたい所ですが、決してそうではありません。
歩けるようになると勤行中でも部屋から脱走するようになりました。
無理矢理抱っこして座らせれば泣き、寝ている間に勤行をしたらどんなに楽かと思いました。
しかし講中の先輩に、
「赤ちゃんだから何もわからない。寝ている間に勤行すれば家事がはかどると思ったら大馬鹿ものだ」
と教えられました。
1歳になる前に私が仕事を始めた事で毎日が時間との闘いで、きちんと一緒に勤行をする時間がとれなくなりました。
家で出来ていない子がお寺で静かに出来るはずがありません。御講や婦人部会では声や音を出さないように必死でした。
時には静かに出来ないため中に入れずに何も聞かずに帰った事もありました。
そんな惨めな思いをしながら、何とかこの状況から脱却しなければ、法統相続すら難しいと、
お寺の唱題会や地区内の活動に、最後の題目三唱だけでも良いから子供を連れて参加し、
お山へも一泊で登山し、息子の態度を自身の信心の鏡としてきました。
僕もあんな風になりたい
私たち夫婦は激情型で、一回火がつくと周囲を巻き込み全てを燃やし尽くすほど激しい喧嘩となってしまいます。
それが私の最大の悩みでした。
台湾の諺に「腐った竹から良い筍が生えてきた」というのがあります。
これは息子が得度を決めた時、台湾の義妹に言われた言葉です。私は言い得て妙だと笑ってしまいました。
しかし、こんな私達でも絶対に揺るがない事があります。それは折伏です。
私達は、特に主人は折伏の為ならいつでもどこへでも駆けつけます。
四年前の年末、背水の陣で臨んだ香港への折伏にもあえて息子を連れていき、
支部誓願達成の喜びを充実感の中で共に分かち合いました。
思えばその時に初めて、ご僧侶になる、と本人の意思を聞いたように思います。
息子が得度を考え始めたのは平野御住職に声をかけて頂いてからです。
その時の本人の気持ちとして「え?こんな僕が?」と思ったそうです。
香港以降も、迷ったりしていたようですが それが変わったのは小学校五年生の時です。
久しぶりに大石寺の六壷の夕勤行に参加させて頂き、その時のお小僧さんのお姿を見て
僕もあの中に入ってあんな風になりたい、と決心したそうです。
決心の後はまるで別人
その決心の後はまるで別人でした。
以前は、勤行の途中でぼーとしたらやり直しをさせ 指をいじれば指をひっぱたき、
怒っても睨んでも褒めても一向に改善されなかったのが、
決心後は背中には定規が入っているのかと思うような姿勢に、はっきりとした発音。
指がこんなに長かったのかとピンと伸びた合掌。
思い返せば数年前、激情夫婦が、猛烈な諍いの挙句、
一緒には暮らしていけない、本当にもう終わりだ、という状況の時に、
新寺建立の為の場所が決まりました。
私はこれが本当に最後のチャンスだと思い、勇気を出して会社を辞め、
新しいお寺の近くに引っ越す事に決めました。
引っ越し後は・・・
仕事を辞めた私に少し余裕が出来た事で引っ越し後は、
互いの性分という火がくすぶり始めても早いうちに消火出来るようになりました。
また、その時期に仲良しのN目明ほんさんの得度を知り、互いに切磋琢磨出来たことも非常に有り難い因縁だったと思います。
また、引っ越した事で夜の勉強会にも唱題会にも子供達を連れて参加出来るようになりました。
夕食の時には子供達がその日に起こった事をたくさん話すようになりました。
今日、学校でこうだった、こうされて嫌だった、と話すと最後は必ず信心の話になります。
じゃあ折伏しよう。御住職様がこう仰ってたから、朝の勤行で真剣に御祈念しよう。
大聖人様も御書でこう仰っているよ、という事を常に話します。夫婦で折伏に赴いたり。
家族の誰かが折伏している時には、皆で唱題をして折伏成就を喜び、残念だったとしても、その時の話をします。
得度
このような信心中心の生活が出来るようになった事や、息子が得度のお許しを頂けたのは、
決して私たちが立派だからではありません。
謙遜しすぎることも謗法の一つと御住職様より教えて頂きましたので、決して卑下している訳ではありません。
息子が立派な筍になったのは、私達が命の中心にすえている折伏の功徳と、
いつでもお寺に通い子供達を御本尊様に躾て頂いたからだと心からそう思います。
明せいさんは、鼓笛隊の練習もお寺の唱題会も勉強会も嫌がらずに参加していました。
得度式の日、六壷で貌下様をお待ちする新発意が、猊下様がお入りになると一斉に音を立てて畳に伏せました。それを見たときに、
「ああもう私のかわいいひろちゃんではなくなった、この子は明せいさんとしてこれから生きていくのだな」
と諦めがつきました
得度式はピーンと張り詰めた空気感の中にも何故か温かいものを感じ、
親としてではなく一信徒として、感動しながら見入っていました。
とはいえ、早すぎる子離れに母親としての思いを全て断ち切る事が出来ずに、
頭では、理屈ではわかっていますが、心がついて行かなかったようで、
得度式以降、空の巣(からのす)症候群のようになりました。
空の巣症候群とは、子供が独立した後の、子育て燃え尽き症候群で、無気力になった母親の事を表現した言葉です。
空の巣症候群から復活
そんな何もしたくない私に、一本の電話がかかってきました。昨年入信したネパールの女性の方です。
私は20歳の時にネパールの国で発心していますので ネパールには並々ならぬ思いがあります。
その方の引っ越しの手伝いで友人の方を紹介され、御授戒を受ける運びとなりました。
その帰りの車中では眼もぱっちり開いて折伏によって空の巣症候群から復活しました。
また 何より嬉しいのは 姉が折伏を成就したことです。
姉は自分の子供のように可愛がっていた甥っ子がこんなに頑張っているのに、
私は何をやっているのか?と折伏に目覚め、唱題に励んだ結果、
五月四日にいわゆるママ友とその息子さんを、喜びの中で勧誡に導きました。
折伏しようと大石寺の話をした際、彼女は以前御開扉を受けた事がありましたが退転していて、また始めたいと思っていた所だと聞きました。
これらは明せいさんから頂いた縁だと感じています。
これで私が班長をさせて頂いている班の目標に対して 125%の達成率となりました。
自分達の信心は御本尊様を通して必ず良い事も悪い事も伝わるよ、と言われました。
寂しさを考え始めてしまうと、今すぐにでもいくらでも泣けます。
しかし、私には折伏育成・支部活動・海外サポート・鼓笛隊、と有り難いことにやる事が沢山あります。
今の一つ一つの積み重ねが、明日の自分、何年後、来世の自分や子供の未来をも作って行く
という事を有り難くも教えて頂いていますので、目の前の事に手を抜かずに、これからも元気に折伏に励んで行きます。
そして<仏恩報謝の為、また粛明せいさんが安心して僧道を全う出来るように、
日本・台湾・アメリカの親族一同 異体同心し精進して参ります。ご清聴ありがとうございました。
最終更新時間:2020年03月25日 13時28分38秒