トップ 差分 一覧 ソース 検索 ヘルプ PDF RSS ログイン

巡り合わせが大転換の功徳

巡り合わせが大転換の功徳


 「お寺に行ってみよう」苦悩の淵に友人の言葉

H26.06.29 正安寺支部 S藤N継さん
(新潟地方部総会より)

本日は、私が昨年の十月に御授戒を受け入信することとなりました経緯と、今日までの体験を発表させていただきます。

突然の会社の申し出と母の病

 昨年の九月に、会社から突然、
「君にやってもらう仕事は、もうない。長期の休みを取ってもらいたい」
と申し渡されました。
 三年ほど前から夜なかなか寝付けず、何度も夜中に眼が覚める状態が続き、一月に欝病と診断されてから八カ月日のことでした。それまで二十年以上にわたって働いてきた会社からの突然の申し出に、腹立たしさを覚えながらも、五十歳を過ぎた人間が今さら再就職の当てもなく、従わざるを得ませんでした。
 悪いことは重なるもので、それと前後して母が体の変調を訴え、検査の結果、末期の胃ガンであることが判りました。
 既に全身に転移が見られ、医師からは抗癌剤治療しか選択肢が残されていないことを説明されました。しかし母は、五年前に他界した父の闘病の姿を思い抗ガン剤治療を断り、自然の流れに任せるとの意思を貫きました。ずいぶん強い人だなと思いましたが、息子の身としては、もう少し生きることに執着して欲しいと思いました。
 そんな二重の衝撃を食らった私は、人生において初めてと言っていいどん底を味わいました。
 人間とは不思議なもので、働いている時は、長期の休みが取れたなら、あんなこともしてみたい、こんなことをやってみよう、等という考えがあったはずですが、いざ実際にその状況に放り込まれると、そんな考えはどこかへ消し飛び、何も行動できなくなってしまうもののようです。
 気がつけば、何をなすこともなくただ一日をボンヤリと過ごすようになり、そのうちに、今日は何日だったのか、何曜日だったのだろう、そんな状態にまでなりました。

「一緒にお寺へ」 友人たちの救いの手

 今だから言えることですが、あの状態が長く続いていたなら、ひょっとすると何やらよからぬことを考えていたかも知れず、もしかすると既にこの世にいなかったのではないか、そう思うことさえあります。
 そんな私の様子にいち早く気付いて救いの手を差し伸べてくれたのが、T屋M也、K井A章、O田A篤の三氏でした。長くは幼稚園からの付き合いで、同級生、同窓生の間柄です。
 何よりも、これまでT屋家の様子を見るにつげ、他のどの家庭とも違うなと常々感じておりました。とにかく明るく、生命力にあふれています。よく勤行の声は耳にしておりましたが、信心にそれほど関心のなかった私には信心と生活の関連が判らず、このバイタリティはいったいどこから来るのだろうと、当時は不思議でなりませんでした。
 
「一緒にお寺に行ってみないか」
。T屋氏が発したその一言が、私が救われるきっかけを作ってくれたのでした。
 長い付き合いの中で、一度も入信を勧められたことも、お寺に行とうと誘われたこともなかった私は、正直なところ戸惑いました。
 しかし、いつにない彼の真剣さに、ここまで言ってくれるのだからと、昨年の十月十三日の夜、K井、O田両氏にも付き添ってもらい、初めて正安寺の門をくぐることとなりました。

この教えならと確信

 にこやかな笑顔の中にも熱く、正しい信心とは何か、日蓮大聖人様の教えとはどういうものかを説かれる御住職・小林貢道御尊師のお言葉は、T屋氏の言を借りれば
「仲間内で一番理屈こき」
と言われる私の心にも、素直に入ってまいりました。
 この方の説かれる道に身を委ねよう。この方の信じる教えならば、きっとこんな私にも光を当ててくださるに違いない。そう確信いたしました。
 十月十三日が、大聖人様の御命日だということも知らなかった私は、後からそのことを聞いて、新たな一歩を踏み出した日がそのような特別な日であることに、たいへん驚きました。
 その場において御授戒を受け、法華講の末席に加えていただいた私は、早速、翌日からT屋家に押しかけ、彼はもとより、奥さん、ご両親、そして叔母のH山さんから勤行の仕方などを、一から手ほどきいただきました。私の拙い勤行に嫌な顔一つせず、懇切ていねいにお付き合いをいただき、感謝に堪えません。
 こう見えても生来きまじめな私は、こんな下手くそな勤行では申し訳ないと考え、毎日五回ほど勤行の練習に励みました。お陰様で二カ月後には、何とか一人でできるところまでいけました。
 この二カ月間というものは、それまでの人生で味わったことがないほどの充実感に満ちておりました。お寺に足を運ぶたびに、
 「必ず流れが変わりますよ。いい流れが来ますから」
皆様からそんな温かい言葉をかけていただきました。

会社に復帰請われる

 その言葉が現実のものとなったのは、年も明け、一月の後半になった時でした。
 突然、会社から時び出しがあり、出かけていきました。内心、きっと
 「会社を辞めてくれないか」
という話なんだろうなと思っていました。ところが、総務部長の口から出たのは、
「二月から会社に復帰してもらいたい」
という言葉でした。
 「一人会社を辞めるととになって、入手が足りなくなってしまった」
とのことでした。ずいぶん勝手な言い分だとは思いましたが、別段断る理由もなく、この申し出に同意いたしました。
 後から同僚に聞いたところでは、辞めることになったのは中堅社員で、私のことを上層部に、
 「病気持ちの人間なんて使えない」
上申していたようでした。
 ところが、私の担当してきたお客様は少々癖の強い方が多く、応対を誤るとたいへんなことになるのです。案の定、十一月頃からクレームが出だし、納品時のトラブルが続発したそうです。私が十数年かけて築き上げた信頼関係にほころびが生じたことで売上が半分近くにまで落ち込み、ついには上層部との折り合いが悪くなり、その人はとうとう辞めざるを得なくなってしまった、とのことでした。
 そして四カ月ぶりに出社いたしますと、会社の雰囲気も、なぜかがらりと変わり、ずいぶんと風通しがよくなったように感じました。
 そして二月の中旬に至り、いよいよ母の病状が進行したため、終末期医療を受けるため入院いたしました。
 日に日に弱ってゆく母の姿に、改宗したことを言い出せずにいた私は、このまま黙っていたほうがいいのだろうかと迷っておりました。しかし、自分は正しい信心を志したのだ。何も間違ったことはしていない。母もきっと判ってくれるはずだと、意を決してこれまでのことをすべて打ち明けました。すると母は、
 「これから先はあなたが家を守っていくのだから、あなたの信ずる通りにしなさい」
と言ってくれました。
 三月末の春季総登山会に参加させていただき、総本山の荘厳さ、偉大さに、いよいよ信心のすばらしさを確信いたしました。
 迷いのなくなった私を見て安心してくれたのでしょう、四月五日、母は家族全員に看取られながら、八十三年の人生に終止符を打ちました。
 母の葬儀を済ませ一段落したところで、妻と娘たちに、今後は家の宗旨を日蓮正宗に改めたい旨を話しました。四人共快く承知をしてくれ、四月の中旬に揃って御授戒を受け、我が家は全員、日蓮正宗の信徒となることができました。また、五月の初旬には、ようやく御本尊様をお迎えすることもできました。

人生大転換の功徳に苦悩の人を救う誓い

 この約十カ月間は、私にとりましても、また家族にとりましでも劇的な転換期となりました。あれほど悩まされていた不眠も嘘のように解消し、今では薬も全く服用する必要がなく、仕事も順調です。夜はぐっすりと眠り朝はすっきりと起き、勤行をしてから会社に向かうという毎日を送っております。宗祖日蓮大聖人様は『妙心尼御前御返事』に、
「やまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はおこり候か」
 (御書九〇〇頁)
と説かれておられます。
 まさに、私は病を得て苦しみの淵に落とされたが故に、多くの皆様の助けを得て、このすばらしい信心に巡り合えたのです。今こうして、穏やかで充実した日々を送れますのも、支えてくださった御住職様をはじめ、多くの方々のお陰と感謝いたしております。
 大聖人様から戴いた功徳と、皆様からいただいたご恩に対し、私にできる唯一のご恩返しは、このたびの体験を活かし、私と同じように苦しみ、悩み、迷っておられる方々に正しい信心に目覚めていただくことだと考えております。
 そのお手伝いをさせていただき、明年平成二十七年の御命題と三十三年の御命題に向かって、折伏行に邁進いたします。
 因みに正安寺支部は、三日前(六月二十六日=編集部註)に今年の折伏誓願目標を達成いたしました。今後もさらなる目標に向かい、全員一丸となって前進あるのみと、誓いを新たにしております。御法主日如上人猊下は、

 「自分の心に任せて仏法を見るとすると、我見に陥り、真の異体同心は生まれません。自分の心を仏法に任せていくところに、真の異体同心が生まれるのであります」(大白法八〇九号)

と御指南されておられます。
 この先も、迷うことなく御法主上人猊下の御指南を拝し奉り、御住職様の御指導のもと、信心に打ち込んでまいる所存です。

【写真】御住職、折伏してくれた友人のT屋氏(新潟地方部長)と

大白法893(H260916)号より


勤行の練習を自分でするなど、発表者のお人柄が滲み出ていますね。この人徳にこの信心をなさったなら鬼に金棒、恐れるものがないように思います。感銘致しました。
[病気平癒,体験]

最終更新時間:2018年06月24日 11時32分04秒