御本尊様のお力で変わった
鹿児島県 蓮秀寺支部 Y削 昇
私が日蓮正宗に入信して、今月で十年になりました。
入信六年目に家内を折伏し、その後、日蓮正宗による母の葬儀と、それを機とした子供達の入信と、一家和楽の信心が始まったと感じています。
母の祥月命日忌にはお寺に参詣し、お塔婆を建ててもらいました。私の兄達や、その子供達にも参加してもらいました。
私は六人兄弟の三男で、下から二番目ですので、母の葬儀を日蓮正宗で行うことに、上の兄達から猛反発を食らいましたが、最後は長兄が「おまえがおふくろの面倒を最期まで看てくれたから、おまえの好きにしていいよ」と言い、葬儀代にと百万円を渡してくれて、無事、日蓮正宗で行うことができました。
そして長兄は、母の初盆や祥月命日にも、自分の子供と孫を連れて、福岡からはるばる来てくれました。
私は、その福岡の長兄の所に三回、折伏に行きました。一回目は六年ぐらい前でした。私が行くと喜んでくれて、福岡の街を案内してくれたり、飯塚の従兄弟の家に連れて行ってくれました。
私は、お寺のパンフレットを兄に見てもらおうと思って持っていっていましたが、孫に囲まれて幸せそうな兄を見て、その時は信心の話をする勇気がなくなり、信心の話をすることができずに帰ってきてしまいました。
そして今年の正月、兄の所に三度目の折伏に行きました。
兄貴はいつも通り喜んで迎えてくれ、その夜は久しぶりに、二人でお酒を飲むことができました。
寝る前に、部屋で大石寺の方向に向いて勤行していると、兄貴が
「近所に日蓮正宗のお寺があるから連れていこうか」
と、言ってくれました。
翌朝、勤行を済ませ、遅い朝御飯を食べてから、兄貴と二人で出掛けました。車で三十分くらいの所でしたが、兄貴が「おまえのお寺だろ」と言って案内してくれたお寺の門には「日蓮正宗遍照寺」と書いてありました。
その夜、兄に、自分と一緒にこの信心をして、両親の追善供養をしてくれるように話をしましたが「おまえがしてくれればいい、俺はしない」
の一点張りでした。
その年は父の二十七回忌でしたので、七月二十七日に帰ってくる約束を兄としていました。一週間前に、兄に
「せっかくお寺に来るんだから、お塔婆を建ててくれないか、父の供養になるから」
と電話で話したところ、
「俺は信心をするつもりはない、気が向いた時に墓参りをすればいい」
と言って電話を切られました。
私はショックで、その場に座り込んでしまいました。父の命日は、水俣の姉と二人で、お寺に行ってお塔婆をいただいて、お墓に行きました。
八月に入ってから、大分の息子から久しぶりにメールが来ました。
「お父さん、今日からおじいちゃんになったぞ。信じられっか」
私に孫ができました。男の子です。すぐに御住職から言われた法統相続が頭に浮かびましたが、どうすればいいのか解りませんでした。
振り返りますと、家内が御授戒を受けるのに六年かかり、御本尊様に御飯をお供えできるのに九年かかりました。妻は頑固なんです。
しかし、そんな妻が、この前の寛師会の御登山をさせていただく出発の朝、着替えをバッグに詰めながら
「飛行機のなかで食べるおにぎりは何がいいの?新幹線は一人で乗れるの?御供養の袋は二枚でいいの?バス代とタクシー代は別々の袋に入れておくから、お金はあるの?気を付けていきなさいよ」
と言ってくれました。四、五年前までは考えられなかったことです。
私が十年前に日蓮正宗に入信した時は、泣いて反対しました。私が勤行して線香に火をつけると、大きな声で
「線香くさい。やめてよ」
と言われたものでした。仏飯のお碗も台所の流しに入れさせませんでした。そして、口もきかなくなりました。
初めて我が家で座談会をしたのは、入信三年後ぐらいでしたが、家内は皆の前に顔を出しませんでした。そんな具合で、家にいても家内と言い争ってばかりなので、お寺に通いました。
御供養も
「また持っていくの。この前したばかりだがね」
と言われ、あまりできませんでしたので、そのことを御住職に言いますと、「いいですよ、御供養はできる時でいいんですよ」と言ってくださいました。
入信して一年経った時、御住職に
「Y削さん、御登山に行きたいですか」
と聞かれましたので
「はい、行きたいです」
とは答えましたが、旅費がありませんでした。御住職は
「一時的に立て替えておきますから、行きましょう」
と言ってくださいました。
それからは、大御本尊様の前でちゃんとお経が読めるようにと、お寺の唱題会の時に、何日も掛かって、お経の読み方を教えていただきました。
初登山の日の朝は、家内は起きてこなかったので、自分でバッグに着替えを詰めて出掛けました。
登山から帰ると、大御本尊様の功徳で、会社の社長からアルバイトを紹介されました。今も続いているそのアルバイトのお陰で、旅費もすぐにお返しし、お寺の御供養も少しだけですが、できるようになりました。
しかし、家内とはうまくいかず、イライラして、酒を飲んでは家内に湯呑みを投げつけたり、タンスを壊したりしてしまい、自分を制御できませんでした。そのことを御住職に相談しましたら、
「Y削さんは法を下げているんですよ」
と言われました。
そして、二年ぐらい前に、再び御住職にどうしたらいいか相談しましたら、
「奥さんはY削さんの持ち物じゃないですよ」
と言われました。また
「有り難う、と言いなさい。お帰りなさい、と言いなさい。挨拶をしなさい。それを行わない人は、畜生と一緒ですよ」
と御指導いただきました。
私はすぐに、御指導をいただいた日から、家内が家に帰ってくると
「お帰りなさい」
と言うようにしました。四、五日すると家内から
「あんた、おかしいよ」
と笑われましたが、それでも続けたところ、さらに四、五日すると、家内が大きな声で
「ただいま」
と言って帰ってくるようになりました。
たったこれだけのことが、私は御住職に言われなければ解りませんでした。御住職のお陰で、それからは家内とうまくいくようになりました。
今年はアルバイト先の畑に、家内のためにスイカを作りました。小さなスイカでしたが、おいしいと言って食べてくれました。
相手が悪いのではなく、自分が悪い。自分が変われば、相手も変わる。そして周りも変わる、と常々御指導をいただいています。しかし、頭では解っても、なかなか変われないでいました。
私は、御本尊様のお陰で、少しですが変わることができたと思っております。
お寺に通い、唱題会や勉強会に参加し、善知識に触れ、家庭で勤行・唱題をして、十年間、御住職のお話を聞いて私が学んだことは、
「御本尊様を信じて諦めない心」「御本尊様を信じて負けない心」「御本尊様を信じて思いやる心」
です。
私も孫ができましたので、これからは法統相続のことを真剣に考えなければなりません。
御住職に
「Y削さん、一生を懸けて成し遂げなさい。そうでなければ、せっかく自分が一生懸命信心をして積んだ功徳も水の泡となりますよ」
と言われました。私はこれからもお寺に通い、御本尊様に法統相続を御祈念をしていくつもりです。
また、蓮秀寺支部の役員としても、御本尊様の御恩に報いるため、これからも日々「一年に一人が一人の折伏」を心掛け、結果を出していきたいと思います。
妙教H2703号より
[体験]
最終更新時間:2015年03月27日 00時36分05秒