御本尊様信じ病苦から抜け出す
中学時代の同級生から真心の折伏
皆さん、こんにちは。法道院支部、壮年部のO川T弘四十八歳です。現在、所沢市で小さな会社を経営しております。
私は自分でも確かに思うほど、一般の方々とは少し違った、異色な人生を送ってきました。正直なところあまり言いたくないことが多々ありますが、本日は「ありのままを発表しなさい」との御指導のもと、時間の許される範囲で、発表させていただきたいと思います。
私は幼少の頃から、思い通りにならないと何をするか判らないという性格のまま大人になってしまいました。特に二十五歳を過ぎてから、右翼からヤクザへと、いわゆる反社会的組織に身を置いて、計り知れないほどの人々に迷惑をかけてきました。煩悩の赴くままに暴走していた私は、特に二十五歳のときに地獄の底に突き落とされ、人生のやり直しを余儀なくされることとなりました。今から十四年前、まさに八方塞がりで、ホームレスからの出発でした。
しかし、本当に身に染みたお陰で人生を悔い改め、少しずつ道が聞けていき、三年後には人並みの生活ができるまでになっていました。ただ一方で、あまりにもいろいろあったせいか、極度のストレスによるパニック障害という病気を発症してしまい、それが生活を脅かし始めていました。
この頃私は、職場で知り合った女性と交際を始めていました。彼女は二世の創価学会員で、私を懸命に創価学会に引き入れようとしていましたが、私は大の創価学会嫌いで、以前、三世の創価学会員だった元妻にも創価学会活動をさせなかったくらいです。
パニック障害治そうと 創価学会に入会
しかし、交際から三年が経とうとしていた頃には、私のパニック障害は重度になっていて、自宅から遠くへ行けば行くほど過呼吸発作を起こすようになっていました。また、電車やバス、エレベーターなど、特定の圧迫感のある場所などでも同様の発作が起こり、社会生活にも適応できなくなっていました。
遂には七年勤めた会社を解雇され、自宅に引きこもって苦しんでいました。私は何かにすがる思いで、彼女のしている宗教を知ろうと何軒かの書店に足を運び、独自に調べ始めたのです。そこで、『日蓮上人』というタイトルの本を見つけて、早速購入して読んだところ、経験したことのない衝撃を覚えたのです。私はこれで幸せになれると確信し、平成十八年、あれだけ嫌いだった創価学会に入会したのです。
私は創価学会に入ってすぐに折伏(※この場合は「創価学会の入会勧誘活動」というべきである)に励みましたが、新たに網膜の病気になったり、パニック障害も治りません。学会幹部に相談しても「罪障が出てるんですよ」と言われたので、ずっと我慢をしていました。
しかし、日に日に創価学会組織に違和感が募っていったのです。例えば、座談会などでの耳を塞ぎたくなるような他宗の悪口や、軍歌のような学会歌を歌うこと、また、政治結社顔負けの選挙活動に、新聞啓蒙などです。
私は五人を折伏(※この場合は――、以下略)し、役職も引き受け、公明党員にもなっていたのですが、再度学会幹部に相談したのです。
(創価学会は)「少し、大聖人様の仏法と遣うのでは」と。
すると、
「いや、O川さんの大聖人様の仏法は、もう古いですね」(!!!)
と言われました。
私はその言葉に幻滅をして、この日を境に一切の学会活動を休止したのです。入会から二年が経っていました。
私は大聖人様だけからは絶対に離れないと心に誓い活動を休止し、どうにもならなくなっていた仕事や生活だけを考えることにしました。もう勤めるのは無理なので、独立しかありませんでした。私は何とか借金などなして、自宅の近くに小さな飲食店を開店しました。
仏壇は埃だらけになっていき、あまりいい気はしませんでしたが、事業は順調に拡大していきました。学会活動を休止して三年が経つ頃には、私は小さな会社の社長になっていたのです。
しかし、相変わらずのパニック障害のため、商談、契約等の際、社長としての業務に多大な支障をきたしており、新たに悩みを抱えていました。
旧友との再会
その夜も、酒でも飲んで紛らわそうと、とある飲食店に入ったのです。
一昨年の十一月のことでした。すると偶然、中学校の同級生であるT沢君と、なんと三十二年ぶりの再会をしたのです。
T沢君は法道院の信徒で、地区の班長をしており、お互いの立場はすぐに判りました。
すぐに(彼から)私への折伏が始まり、(私は)その熱意と、本気で私の幸せを願ってやまない彼の真心に打たれました。私はもう創価学会では信心をしないと決めていましたが、パニック障害のことがあって、半年近く、日蓮正宗への入信を決断できずにいました。
法道院に行ってみたくても、池袋まではどう考えても絶対に行けません。とうとうT沢君に病気のことを打ち明けました。そして、悩んだ挙げ句、二人で一緒に車で行ってみる挑戦をしようと、やっと決めたのです。私にとって、所沢市内から出るのは、実に十二年ぶりのことでした。
意を決して法道院へ向かう
そして、その日がやってきました。
私は、既に二、三日前からパニックモードで具合が悪く、当日は出発してすぐに顔面蒼白、口の中には唾液がなくなり、手足は氷のように冷たくなって脈は異常に早くなり、発作寸前でした。
一、二キロ進んでは休憩を取り、今すぐ帰りたい、絶対に行きたいの葛藤の中、T沢君も心配したり励ましたりの繰り返しで、気疲れしたことでしょう。この状態のまま、普通なら一時間で着くとごろを、三時間半もかかって何とかお寺に到着しました。感激のあまりT沢君とハグ(抱擁)をしてしまいました。
法道院は、とても温かく私を迎えてくださいました。そして、知らなかったたくさんの事実を教えていただきました。
法道院の信徒になる決意を固めた私は、すぐに自宅に戻り、創価学会に入会させてしまった母と、同じ地区に移動してきていた長女を連れて、昨年六月十八日、三人で脱会し、日蓮正宗に入信することができました。
入信、治り始めた病
入信したとたん、私は十三年苦しんできたパニック障害が、あり得ない早さで治り始めたのです。一カ月が過ぎた頃には、伺の障害もなく法道院に通えるまでになり、二カ月日には一人で(車を運転して)高速に乗れるようになり、渋滞が起きても普通に法道院に通えるようになっていました。
私は嬉しくて、折伏をがんばりました。これはもしかしたら、今年中に支部総登山に参加できるかもしれないと思い、三カ月目からは、所沢から総本山へのコースに挑戦したのです。
二回失敗してリタイアしたものの、登山前日までに三回成功して自信をつけ、支部総登山当日は無事に歓喜の着山。御開扉を受けることができたのです。言葉にできない何かを感じ、折伏のスピードをあげました。
(その折伏とは)会う約束が延び延びになっていた、山梨の元妻と、一緒に暮している長男にありのままを伝えたのです。元妻は離婚後創価学会にのめり込み、子供二人を入会させていました。長女はこちらに上京していましたので脱会させられましたが、長男とは離れていましたので、気がかりでした。
連絡をまめにして、やっと長男とだけ会うことができました。
「お父さん、いったい何があったの」
と聞かれてこれまでのことを話すと、
「それ本当なの。事実ならたいへんなことだよね」
「お寺に行こう、行けば必ずお前も感じるはずだ」
私は会って早々に、長男を連れて法道院に行きました。
その数日後、長男は日蓮正宗への入信を決意しました。
長男は、
創価学会の拠点となっている自宅で学会幹部である母と暮す中、息子の脱会の決意を聞いてたちまち血迷い泣き狂った母に親と思えぬ罵声をあびせられても、
学会幹部の数々の説得工作にもぶれずに、
また、御授戒に向かう際に自分の車だけが暴走族に囲まれるという奇妙な出来事も振り切り、
創価学会並びに牙城会?を脱会して、
無事、法道院で御授戒を受けることができたのです。
私は、T沢君に三十二年ぶりに再会して、日蓮正宗の御本尊様を信じることで、病気に立ち向かうことができました。
また、日蓮正宗に入信したことで、あり得ない早さで病気が完治に向かっています。苦しみから抜け出させていただき、行動範囲も、生活の世界も広がりました。
今、私は幸せです。この感謝の気持ちを、折伏をがんばることで、御報恩に報いたいと思います。
昨年六月十八日に入信して以来、本日までの八ヶ月間に十二名の方を折伏させていただきました。
また、眷属は十八名となり、現在、地区の組長をさせていただいております。
今後も、御主管・八木日照御尊能化の御指導のもと、折伏実践の精神で、法道院支部折伏誓願目標九百名の完遂をめざし前進していくことをお誓いして、本日の体験発表とさせていただきます。(H24. 2.19東京第一地方部総会)
(大白法平成24年3月1日号 より)
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[体験,病気平癒,パニック症]
最終更新時間:2016年04月07日 14時54分46秒