強盛な信心で病を克服
新寺落慶を経て、さらなる信行を生涯通じて貫く仏道修行
妙広寺信徒 N目 渉
本日は、平成二十八年夏に見つかった病気を通じての体験を発表させていただきます。
病名は「悪性リンパ腫」という血液のガンで、ステージ四の末期でした。
N目家は血液の病気の宿業を持っていますが、私は発病するまで、そのことを忘れていました。
=講中前進のなか顕れた病=
当時、私は御住職・平野道益御尊師のもと、総本山塔中・総二坊支部の一員として信行に励み、御住職様は「新寺建立に向けて進むなかに、必ず魔が現れる。異体同心と自行化他の信心を心掛けよ」と、絶えず御指導されていました。
静岡に単身赴任中であった私は、疲れやすく、胃の辺りが苦しくなるなど、体調に異変を感じていました。
埼玉県の自宅に戻っていた八月二十日の夜、痛みがひどくなり、翌日、病院で診察を受けました。「黄疸数値が普通ではない」とのことで検査入院したものの、原因不明のまま退院。そして九月六日、セカンドオピニオンとして静岡市内の消化器内科を受診しました。エコー画面を見る医師の手が止まり、震える声で「黒いものが肝臓全体に付いている。静岡日赤病院に、今すぐ行きなさい」と言われ、ただごとではないと悟りました。
静岡日赤病院に到着すると、ただちに検査が行われ、担当した消化器内科の佐藤医師の第一声は、「家族は、すぐに来られますか」でした。
「家族は埼玉県に住み、私は単身赴任中」と答えると、「あなたの肝臓全体を、ガン腫瘍が埋め尽くしている。考えられる原因は三つ。一点目は肝臓ガンだが、肝炎ウイルスがないので違う。二点目は転移するガンだが、これも違う。最後に血液のガンだが、白血病からガン腫瘍はできないので悪性リンパ腫と判断します。化学治療しか助かる道はありません。種類を特定するための検査結果を待っていては死んでしまうので、一か八か検査と同時並行で、肝臓に抗ガン剤を投与させてください。今から入院です」と告知を受けました。
御本尊様のこともあり、アパートに一度着替えを取りに帰りたいと言うと「莫迦なことを言うな。死ぬ三日前の症状だ」と言われました。これについては、のちに「本当はあの時、余命半日だった」と明かされました。
私はこの時、腫瘍により肝臓が膨らんで、肋骨よりもお腹が突き出た、地獄絵で見る「餓鬼」のような姿。黄疸の影響で、眼球や全身の皮膚が淀んだ黄色一色、体内からは腐った臭いが漂っていたのです。
ギリギリのタイミングで病気が特定されました。病気を見抜いた医師は、聞くところの名医とか神の手などと、テレビに出るような医師ではなく、普通の消化器専門医です。変化の人とは、このことでしょう。
病名が確定し、即刻入院した九月六日、病室でただただ泣け「これが絶望か」と呆然としていました。看護師は、私がショックのあまり自殺するのではと、十分置きに見に来ました。
=今こそお題目を唱える時=
身に付けていたお守り御本尊様が唯一の心の支えで、「家内に電話をしなければ。御住職様、講頭さんには、どうお伝えしよう」と考えましたが、電話する気が起きません。やっと家内に電話して「もうだめかも」と言ったように思います。
折伏親である家内からは、「諦めてはだめ。必ず治る。今こそお題目を唱えないで、いつ唱えるんですか。御本尊様をけっして疑わないで、勤行し、題目を唱えて」と強く叱られ、御住職様、講頭さんからも叱咤激励を受けました。
この晩、副講頭より「大きな魔が出てきた。賢者は喜び、愚者は退く。初代の信心は、何度も何度も試練が来る。私の祖父は、命にかかわる病気を三度、乗り越えたと言います。そのお陰で子供、孫達まで信心の功徳が行き渡るのだと思います。大きな使命があるから、大きな魔が来る。御本仏と同じ修行を実践できることは、まことにうれしいこと」とメールをいただき、何度も読み返しました。
入院の翌々日に、検査と動脈塞栓術を実施。この間、御住職様は当病平癒を御祈念くださり、御法主上人猊下に御秘符の申請をしてくださいました。九月十一日、御秘符を頂戴し。それを境に抗ガン剤の効果がようやく現れ始め、多くの腫瘍が肝臓からなくなりました。
これにより血液内科の病棟に移りましたが、担当医師から「あなたと同じ肝臓のみに付く悪性リンパ腫を一例だけ担当したが、その患者は助からなかった。仮りに腫瘍がすべてなくなっても、再発率は高く、五年後の生存率は二十パーセント以下。あなたには賭けのような治療法しか提示ができない」と言われました。
お見舞いに来てくださった御住職様の、「あなたには、やらなければいけない使命がある。だから今は、ゆっくり治療に専念しなさい」とおっしやってくださった言葉が、ずっと心の支えでした。丸山講頭さんも「御本尊様がついているから大丈夫。大きく構えていなければ魔にやられてしまう」と、不安を見透かすかのように、常に激励してくださいました。
=本尊様が整えてくださった環境で=
平成二十九年三月までの間、複数回の抗ガン剤治療により、腫瘍は残りわずかになりました。さいたま日赤病院へ転院して治療を続けることとなり、職場も古巣のさいたま事務所へ異動し、不思議にも私は昇進となり、職場内での立場、給料面でも、家族の生活が大きく守られました。この説明のつかない昇進は、私達なりに精いっぱいに、丹精込めた、新寺建立御供養の功徳としか思えません。本当に有り難かったです。
さいたま日赤病院での新しい治療法が決まったころ、子供達に病状を詳しく話しました。
宿業の病気に負けるつもりはないが、五年後、生きているかは自信がない。万が一、私がいなくても大丈夫なように、今から将来を見据えた進路を決めるように、と。信心で捉えるようにと願っての話に、子供達は、それぞれ決意したようでした。
そして、平成二十九年八月十九日の妙広寺落慶入仏法要前後で、二回の抗ガン剤治療を行い、検査をすると、すべての腫瘍がなくなっていました。医師から「二回でなくなるとは思わなかった。だが、再発率は六十パーセント以上。予定通り残り二回の抗ガン剤と、自家末梢血幹細胞移植まで行っては」と提案を受けました。
私と家内は、治療法が提示されるたびに、御登山して大御本尊様に御祈念してきましたが、この時も御開扉を頂き、
「治療継続」と決めました。そして昨年「行動の年」一月、最後の治療を行って二月に退院し、現在に至ります。
=病身のなかも折伏・育成=
この間の折伏・育成にっいてお話しいたします。
私は、十代のころ、親兄弟に心配ばかりかけてきました。平成十二年に入信し、二年後に結婚しましたが、なかなか親兄弟からの信頼は回復しません。父が白血病で亡くなり、私と兄達が疎遠になることを心配した母が、平成二十七年八月に御授戒を受けました。私か病気になったことを、兄達に「信心しているくせに病気になるとは」と話していた母ですが、「お山の桜が見たいから、元気になったら連れていって」と言い出し、昨年三月に初めて御開扉を受け、今年の新年初登山にも参加できました。
入院中に知り合った方、見舞いにきた同僚、看護師と、折伏を続けてきました。そのなかで、昨年九月二十日、タイ料理店を経営する山崎チュタマー純子さんの折伏が成就しました。「娘婿が大きな病気だ」という話がきっかけで、私の病気を通じた信仰体験を話し、小乗教を破折したのです。
チュタマーさんは、お題目の歓喜そのままに、友人の舘野エルリーさんを折伏。十月十一日に舘野さんが入信できました。その後もチュタマーさんは、御主人をお寺にお連れしようとしたり、来店客にも楽しそうに信心の話をしています。
病気が見つかった当初は心が折れる寸前。治療中は「乗り越えられる」と自身に言い聞かせつつ、そのそばから不安に駆られ、治療終了から現在にかけては、再発しないか、ほかのガンにならないかと、別の不安が付きまといます。ガン腫瘍はなくなっても「完治」ではなく、言わば「仮り」の状態。宿業の転換をどこまでも願い、真剣に勤行・唱題し、縁ある方を折伏していく仏道修行しかおりません。
=寿命賜る信行妙法広布の精進誓う=
振り返れば、入院期間中、新寺は「本法山妙広寺」と名称を賜ったとのメールが配信された時、発表の場にいられない自分の因縁を悔やみました。ですから、妙広寺落慶入仏法要には、何がなんでも参詣したいと、体調を整え、その瞬間に立ち合えた当日「生きていてよかった」と実感しました。
腫瘍は、検査を待たずに、この落慶法要の時にはなくなっていたのだろうと思えて仕方がありません。
「この病は私一人の宿業ではなく、N目家の宿業であり、出てきたからには信心で治す。次の代に業病を引きずらせてはならない」と、自らと家族に言い聞かせて、信心根本に合計十六回にわたる抗ガン剤治療にも耐えました。
御住職様は「信仰は苦難・困難・災難が消えてなくなることを目的としているのではなく、それらに動じない心を養うために励むのです」と御指導されます。
信心で救われたこの命、あと二年を切った宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年に向け、御報恩の誠を尽くしていくことを、ここにお誓いし、発表とさせていただきます。
(大白法・平成31年4月1日号)
こちらもどうぞ。息子さんの体験→[父の病気と僕の決心]
最終更新時間:2020年01月17日 12時52分06秒