譬喩経にこんな話がある
あるお百姓さんが入信し、素直に五戒を持し、精進して殺さず信心に励んだ。
しかし晩年は老いぼれて信心がおろそかになっていた。
ある時、山中に空腹の修行者がいた。彼はそのお百姓さんに食べ物をせがんだが、百姓は仕事が忙しく、「あんたなんかに構っているヒマはないよ」、と突き放された。
修行者は惨めな気持ちと共に、空腹を抱えて山中に帰って行った。
そして、人の死骸から鬼を作り、鬼にこう命じた。
「あの百姓めは私を辱めた。これからあいつの所へ行って殺してこい」
その様子を山中でたまたま見ていた僧侶がいた。これは大変、とお百姓の家に行って事の次第を告げ、
「あなたは今夜早くから燈を燃やしてして仏法僧を崇め、身と口と心に渡って過ちは犯しませんという呪文を唱え、皆が幸せになりますようにとお祈りし続けなさい。」
と助言した。お百姓さんは僧侶の言うとおり、明け方までお祈りし続けた。
鬼は明け方に至るまで、お百姓のスキあらば殺してやろうと窺っていたが、彼の信心が強くて殺すことが出来なかった。
ところで鬼神の法では、主人に命ぜられて敵を殺せと言われれば、殺害しようとするが、しかしその敵が殺す事が出来ない福徳を備えていたならば、逆に殺害を命じた主人を殺す事になっている。
よってこの鬼は怒ってお百姓殺害を命じた修行者を殺しに帰って行った。
その様子を知った、先ほどのお百姓に助言した僧侶は修行者をかくまって鬼に見つからないようにしてやった。
こうしてお百姓は より信心深くなり、一族郎党の命を失わずに済んだ。
また修行者は死なずに済んだのみならず、殺人罪を犯さずに済んだ。
だからよくお聞きなさい。正しい信心をしていれば、鬼は危害を加えることが出来ないのだ。
これはそもそも小乗経の信心の話だが、それですら仏法を念じて鬼の害を免れたのだ。
いわんや正しく南無妙法蓮華経と唱える者が守られるのはいうまでもないことである。
ただし、
「若し種々の邪念を生ぜば則ち信心の正念を失う。故に悪鬼自在に其の身に入るなり。」
御本尊を拝するにしても、邪念にそまっていてはダメなのです。
(意訳・歴代法主全書四-四六二 日寛上人「薬王品病即消滅談義」)
止会下320
という訳だから、日蓮正宗信徒にして仏法の精髄たる御本尊様に毎日読経唱題する人は必ず仏天の加護を被って危害を免れることが出来るのです。
さぁどなた様も、戒壇の大御本尊まします大霊場たる大石寺へお参りし、信心をしましょう。
最終更新時間:2021年06月03日 11時51分15秒