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御命題を見失わない

御命題を見失わない

 智慧を戴ける信心だから 今できることはたくさんある


寄 稿
京都市伏見区 宣照寺支部 I上貴子


 私は平成十年三月二十一日に 今は亡き河合悦子さんに折伏されました 
 改宗前の実家の宗派は真言宗です。祖母も母も男児を流産したため、母も私も一人娘です 
 私の父はならず者でした。

「女扱いをしてもらえると思うな、喧嘩も勉強も何でも一番を取ってこい。勝て!勝て!勝て!」

と叩き込まれ殴られて育ったため、相当気性の荒い子供であったと思います。
 母も私も父から暴力を受け、生傷が絶えない毎日でした。中学二年の頃、

「なんで家は普通やないんやろう。どう考えても同級生の家との差がありすぎる。これは自分の力ではどうしようもない。何か絶対的な力に救われでもしない限り、母も私も一生このまま。それはまっぴらや」

と思い、あちらこちらのお寺や神社、教会等、手当たり次第に足を運び始めました。
「お話を聞きたいんですけど」と入っていくと、
「子供には話できひん」
「ご両親と一緒に出直してきなさい」
とあしらわれ 話を聞かせてはもらえませんでした。

 どうしたら話を聞けるんだろうと思案していた際に、テレビで報道されていた寺院のイベントの様子を見て閃き、目星を付けておいた寺院の玄関周りに掲示してある行事日程をチェクしておき、参詣者に紛れて話を聞いたりしました。

 ある日突然、父が蒸発したため、(現在も生死不明) 母と私は父の暴力からは解放されましたが、人間の不平等さについての疑問は解けていないままでしたので、相変わらず宗教を探し求めました。
 そんなことを続けているうちに、話の突っ込みどころを見つけるのには長けてきて、「ここも信用できない」と思うと また別の寺を求めて渡り歩くことを繰り返す十代でした。
 いろいろな所を彷徨い、
「宗教施設はお金を持っていない子供や若者は相手にしてくれない」
「いくらよく当てる霊能者や占い師も、他人の運命を変えることはできない」
という結論に落ち着きました 

 ようやく正法に巡り合える

 私は十九歳で結婚しましたが、主人が働かなかったため、二十一歳のときに生後二力月半の息子を連れて離婚し二人暮らしをしていました。生きることに必死だったため宗教を探すことはやめ、祖父母の家にある真言宗の仏壇と先祖だけを大事にしておこうと思いました。
 働いても働いても何かしらの仕方ない理由でお金が出ていき「今日は何を食べよう」という貧しい限りの生活でした。いくつもかけ持ちした仕事の一つに一般家庭への飛び込み営業がありそこで訪問したある家が、折伏してくれた河合さんの家でした。

 幼少期から「他者に弱みを見せた時点で負け」と父に言われ続けていたため他人に悩みを打ち明けるのが大嫌いでしたが、なぜか河合さんの顔を見るなり玄関先で勝手に身の上話を始め、挙げ句の果てに泣き崩れてしまいました。

 驚いた河合さんは、
「あんたがこんな所で泣いてたら 私か泣かせたと近所の人に思われるやないの。茶くらいいれてあげるから」
と家に上げてくださり通していただいた部屋に御本尊様が御安置されていました。その瞬間、「しまった、創価学会員の家にあるのと同じ仏壇や。学会員に弱みを見せてしまった」と思いました。
 というのも、創価学会員には何度も嫌な思いをしていたからです。
 涙も一瞬で引っ込み「学会ですか」と聞きましたら、「違う違う、うちは日蓮正宗」と、創価学会日蓮正宗から破門された信徒団体であることを説明してくださいましたが「日蓮正宗」をその時初めて聞いたので、油断してはいけないと思い、たくさんの生意気な質問をしてみました。

 そのどれにも明確な答えが返ってきて「日蓮正宗」と「日蓮宗」も別物であると教えてくださいました。今まで、どの聖職者の話を聞いても納得できなかったことの答えを、六十歳の専業主婦のご婦人が出してくれた。これはいったい何なのだと驚き、「生意気言いました。申し訳ございませんでした」とお詫びして家に帰りました。後から振り返りますと、御本尊様に引き寄せられて河合さんの家に行き、御本尊様の前に座らされたとしか思えない出来事でした。

 二十一歳のときに「真言宗と先祖だけを大事にしておこう」と決めたものの、河合さんの話がもっと聞きたくてたびたび通うようになりました。様々な宗派の特徴と害毒を詳しく教えていただき、私の実家は真言宗の害毒のお手本のようではないかと思いました。真言宗はとんでもな宗教であると判りましたが、先祖が守ってきた宗旨を捨てることは、申し訳が立たないという葛藤がありました。

 ある日、様々な問題が一気に降りかかって、途方に暮れて真言宗の仏壇の前に座りました。

「おそらく同年代の人たちには考えられないくらい拝んできたつもりです。それがこの結果ですか。見返りを求める訳ではないけども、あまりにも酷くないですか。子孫に力も貸してくれないのですか?」

と無性に腹が立ち、手を合わせたところ、なぜか思わず「南無妙法蓮華経」と唱えてしまいました。
 河合さんから聞いてはいたものの、一度も唱えたことはなかった「南無妙法蓮華経」が無意識に口をついて出たことに驚き、慌てて河合さんに電話をしました。
 河合さんはそれまで、諸宗に対する徹底的な破折はしてくださっても、一緒にお寺へ行こうとは一度もおっしゃいませんでした。その日初めて、「そうかそうか、時が来たんやね。お寺へ行こうか」
とおっしゃり、私の直近の休みである三月二十一日にお寺へ連れていってもらう約束をして、電話を切りました 

 改宗の決意固める 驚きの展開で母も

 その日の夜、真言宗を捨てて宗旨変えすることについて いろいろと考えました。
 父は蒸発、私は結婚した相手が働かないため離。祖母も母も男児を流産し、母も私も一人娘。しかし私の子供は男の子で、家系の流れとは大きな違いである。真言宗の影響を息子に受けさせるわけにはいかない。自分の代で変えることに抵抗があったけれど、よくよく考えてみると実家T川家が変わるチャンスなのではないか。息子のK摩はお寺に連れていくとして、母と祖父母をどうしよう、と。
 当時、母と私は仲が悪く絶縁状態でした。いくらよい話でも賛同してくれるとは思えませんでしたが、宗旨を変える宣言だけはしておこうと思いました。
 翌日母と会い、

「うちの家、不幸やんか。先祖代々真言宗やけど、河合さんという人から、真言宗では絶対幸せになれないと聞いた。真言宗だけと違って他の宗派も。何でアカンかっていうのは全部きちんとした理由があるねん。そういうことで私は真言宗を捨てて日蓮正宗に変わるから。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんはどう言わはるか判らへんけど、順番で言うたらオカンの葬式を出すのは私やんか。だからオカンが死んだとき、真言宗ではなく日蓮正宗で葬式を出さしてもらう」

と言いました。
 すると母は、

「うちの家は確かに不幸や。昔は立派な家系だったのに衰退して、あんたが子供の頃から熱心にあっちこっちの寺へ行ってたのも知ってるけど、真言宗は変えられないものとしてプラスαの何かを探してたやんか。そのあんたが真言宗を捨てるとまで言うんやから、日蓮正宗は本物なんやろう。私もこんなまま人生終わるのご免やから、日蓮正宗に変わるわ」

と、その場で改宗を決意してくれ、まさかの展開に驚きました。
 当日は、河合さんと私、母のT川M子(現・宣照寺支部講頭)、息子T川K摩の四人で妙清寺へ参詣し、当時の御住職・菅原信了御尊師より御授戒を執り行っていただき 妙清寺白蓮講に所属しました。

 入信当初、河合さんから受けた育成は厳しく、毎日仕事から帰った頃に電話がかかってきました。
「今日一日のいいことも悪いことも、全部言ってみなさい」
と言われて報告すると、一つひとつに、
 「それは御本尊様に智慧を戴いたね」
 「こういうときはこう祈ってみなさい」
 「また業が出てるやないか」
 「お金がないのは過去にお金に意地汚いことをした報いを受けてるんや。
 お金がないなら、その逆の御供養をしなさい」
 「働き詰めで時間がないのは、過去に信心修行を怠けて時間を浪費していた報いや。
 一番の信心修行である折伏のために、自分の時間を使いなさい」
 と、毎日二・三時間は徹底的に教えられました。そして
 「今は財の供養ができないのなら、まずは身の供養と法の供養を徹底しなさい。
 周りに救ってあげたい人はいないか。その方のお名前を御住職にお伝えして、
 折伏成就の御祈念をお願いしなさい。私にも教えて、毎日御祈念させてもらうから」
 と、一緒に御祈念してくださいました。

  徹底した育成に感謝  生涯の信心の土台

 初めのうちは、
 「何で親でもない人からこんなに毎日叱られるんやろう」
 と思いましたが、当時は八方塞がりの状態であったため、やるしかない、ここで自分に負けてたまるものかと、教わったことすべてを愚直に実行しました 入信して一力月以内に三人の方を折伏し、続いて一人、また一人と折伏していきました。
 お寺に参詣した際、御供養される方々を見ると
 「いいなあ、私も御供養したい」
 といつも思っていました。そして入信して3ケ月目のある日、思い切って初めての御供養ができました。やっとの思いで捻出した五百円玉一つでしたが、その御供養は大きな功徳となって顕われました。
 未経験、かつ母子家庭である事情を理解した上で、ある会社に正社員として雇ってもらえ、もう仕事をかけ持ちしなくてもよくなりました。

 「判ろうが判るまいが」ではなく、「判らなくとも、判らなくととも」言われた通りに続けるうち、入信前にあれほど苦しんでいた山積みの問題は嘘のように消え、勤務先でもみるみるうちに出世していきました。この信心は本当にすごい、皆にも教えてあげないと、と思い、毎年どんどん折伏しました。御本尊様からたくさんの功徳を戴いていることを、私以上に喜んでくれていたのは河合さんでした 
 「河合さんが信心へ信心へと引っ張ってくれたお陰です」
とお礼を言いましたら、
 「私に礼なんか言ってる暇があったら、一人でも折伏してきなさい、
 自分より目下を折伏するのは簡単なこと。雇ってもらってお給料をもらって
 ご飯を食べさせてもらってる恩のある社長に感謝の気持ちを込めて、
 会社の繁栄を願って、社長も折伏してきなさい」
と、また叱られました。
 その河合さんは既に亡くなられましたが、鍛えていただいたお陰で、
勤行唱題を生活の中心に置く。
折伏育成も絶対に諦めない。
相手の幸せを諦めない。
諦めたら相手は幸せになる方途を失う。
縁のある方々が幸せになれるかなれないかは、
自分が諦めないかどうかにかかっている、
という責任感を持って折伏をしなければ、成就しない」
ことを学びました。

 平成十八年三月十八日、妙清寺の元総代を務めておられた故・河原義明氏、白蓮講講頭を務めておられた夫人の定子さんご夫妻の寄進により宣照寺が落慶し、私は宣照寺へ移籍しました。

 初代御住職の西田秀得御尊師のもと、お寺が落慶して最初の折伏を成就させていただき、その後も順調に折伏を続けて、翌年九月に起業した際には御住職に社名を付けていただきました。自分で商売をするということはたやすいことではありませんが、会社勤めのときよりも信心活動がしやすくなりました。

 御住職からは常に、
「焦らず、驕らず・弛まずに信心をしなさい。
様々な問題は自身の器を大きくすることによって解決できる。
その器を大きく強くしてくれるのが信心だよ」
と教わりました。

  講中の礎は  真の異体同心

 平成二十六年四月、堀田信教御尊師が第二代御住職としてご赴任されました。
 とびきりの笑顔が爽やかな御住職という第一印象で これからは堀田御住職に御指導いただいて折伏をがんばろうと決意しました。しかし残念なことに、支部内に揉め事が勃発し、御講の参詣者数が減ったのに比例して、折伏も低迷し始めました。僧俗指導会で何度も聴聞した御指導の「支部内に問題があると折伏は低迷する」とは、こういうことかと痛感しました。支部全体に大きな魔が用き、甘えた信心をしていると篩いにかけられると思いました。水魚の思いをなして、御住職の御指導につき切ること、これに尽きると思いました。

 その頃、講中のK玉H幸さんに折伏された現在の主人(I上T雄)と再婚することになりました。主人も折伏に邁進できる人材になれるようにと、毎日、三時間でも四時間でも、主人に信心の話をしていきました。主人は木造建築大工です施主様や取引先の方々に
「仕事をさせていただいたお礼に、世界で一番よい話をお伝えします」
と信心の話をして、折伏を成就してくるようになりました。

  御遷化の報 御葬儀の妙相に新たな決意

 そして宣照寺支部は昨年、折伏誓願目標に対する達成率に遅れが生じていたため、九月二十一日、総本山で開催された折伏推進僧俗指導会に出席することになりました。御法主日如上人猊下より、折伏を忘れた信心は大聖人様の仏法に存在しないことを御指南賜りました。
 その指導会の前日・九月二十日に、前御法主日顕上人猊下が御遷化あそばされたことを、会場のアナウンスで知りました。指導会出席者は、折伏低迷により御法主上人猊下にご心配をおかけし、申し訳なく不名誉だという思いがあったと思います。御隠尊上人猊下がその私たちに、御一期で最後の叱咤激励を賜れたように思いました。
 御密葬、御本葬共に参列させていただき、御葬儀の中で顕われた数多の驚くべき妙相に驚きと感動が止まりませんでした。
 水の流れが止まると水は澱む。嘆く暇があれば、とにかく動いて動いて動きまくって流れを起こせばいい、と心を入れ替え、一切の雑音に目もくれずに折伏一色の生活に集中しています。
 世間には、驚くほど宗教に無頓着な方がたくさんおられますが、自分の不幸の原因が誤った宗教にあることを知りません、救われたいと願う気持ちはあれど、どうすればいいのかを知らない方々に、先に知っている私たちが声を大にして折伏していく以外ありません。御住職様方から教えていただいた通り、
 「功徳の中でも一番大きな功徳は、折伏によってのみ得られる功徳である」のです。
 私は折伏した方々と関わる際、折伏をしたことでしか得られない大きな功徳を戴ける人になって欲しいということを念頭に、そのために絶対に手を抜かず、真剣に関わるよう努めます。
 ご本人が功徳を実感されたなら、必ず周りの人をどんどん折伏していけるからです。

 また、次のこともお伝えします。
○悩み事は、自分の知恵で解決しようといくら努力したところで、解決しないから悩みとなります。御本尊様に「南無妙法蓮華経」と唱えて、仏の智慧を戴いて生きる努力をしましょう。生きていれば嬉しいことも嫌なこともいっぱいあるけれど、その一つひとつに直面したとき、それを波乗りを楽しむかのように乗り越え、克服した達成感をもって、さらに高い境界をめざす。そのための究極の智慧を戴けるのが、南無妙法蓮華経の御題目です。
〇それを知らない人に教えてあげることが折伏であって 何も難しいことではないのです。自力で幸せを掴む方法を教えてあげる折伏が、自分以外の誰かを救える唯一の方法です。
〇だから折伏は相手の人生を救ったに等しい徳を積める。その徳によって自分の悩みの根本原因である過去世からの業や罪障を消滅させていただけます。
御法主日如上人猊下が御指南で「折伏しましょう」とおっしゃり、そのために御住職が御指導くださることは、ひとえにその最大級の功徳を信徒に味合わせたいがための慈悲です、と。

 私自身は、朝夕の勤行唱題の際、「私が助ける使命のある人たちを、どうか私の前にお連れください。必ず全員折伏します」と御祈念し、折伏したい方々の名前を書き出して、御住職へ御祈念をお願いしています。同時に、お寺の仲間にも共に祈ってもらうことをずっと実行しています。
 新型コロナウィルスの対応による外出自粛で、ふだんとは異なる様々な制約があるとはいえ、やるべきこと、やっていることは、いつもと変わりありません。
 御法主上人猊下は、
 「折伏ができない人は、折伏ができないのではなくやっていないからだ(趣意)」
と仰せです 新型コロナウィルスが蔓延するずっと前から、老若男女を問わず携帯電話やスマートフォンを活用して、通話はもちろんアプリやメールで簡単に連絡を取り合え、ビデオ通話だってできてしまう時代です。これらを利用して遠方に住む家族や友人・知人と遊びや雑談の連絡はできるのに、折伏に活用できないのは、相手を本当に大切に思っていないとしか言いようがありません。
 私自身は、グループトークを駆使し、折伏育成の応援をします。折伏相手の方が御授戒を受ける決意の段階までいったら、お寺に電話して御住職にご報告申し上げ、御授戒となります。つい先日も、主人と共に一人の方を宣照寺にお連れして折伏が成就しました。

 諸天の加護戴ける精進をみんなで

 人は、自分がやってもらったことしか他人にしてあげ難いものだと思います。私が信心を貫いてくることができたのは、力強く引っ張ってくださる御住職様方の御指導と、信心の先輩や同志のお陰です。私も、自分がしてもらって嬉しかったことを折伏した方々にしています。今できることを精いっぱいやり切るところに御本尊様の御照覧があり、諸天善神の加護を受けられるのは疑いありません。進むことを止めた時点で、退転は始まります。
 御法主日如上人猊下の、
「特に今、濁世末法の世相そのままに、人心は極度に混乱し、民族間の争いが絶えず、あるいは新型コロナウィルスの流行など、騒然とした様相を呈し、先の見えない状態であります。こうした混迷を極める人心を救済し、真の幸せを築くためには、末法の御本仏宗祖日蓮大聖人様の教えをもってする以外にはないことをそれぞれが銘記し、なお一層の精進をもって折伏を行じていかなければなりません」  (大白法 一〇二三号)
との御指南を心肝に染め、これからも、いかなる状況下にあっても不退転の信心で精進することをお誓いします。


大白法1029号(R020516)5面より転載
[体験,真言宗]

最終更新時間:2020年05月17日 10時47分10秒