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破門後の創価学会で味わった耐え難い苦しみ悲しみの変更点

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!!!破門後の創価学会で味わった耐え難い苦しみ悲しみ
!!!勧誡から1年、幸福に満ちる

大白法H270401号掲載  (愛知東地方部総会より)
久修寺支部 S鳥A男さん
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! 私は昨年二月二日に勧誘を受けました。
 本日は、私が創価学会時代に体験した謗法の害毒と思われる数々の苦しく不幸な出来事、そして日蓮正宗の信徒となり、この一年で体験した功徳の実証と思われる感動的な出来事について、正直にお話したいと思います。
 私は学会二世として生まれ、子供の頃の少年部から壮年部になるまで、学会員であることを当たり前として過ごしてきました。平成三年に創価学会が宗門から破門されても、学会幹部に洗脳されている両親と私は、正しいのは創価学会と信じて、疑うことはありませんでした。
 しかし、破門されてからしばらくして、私の周りの状況が少しずつおかしくなり始めました。

!!不幸な出来事が続く
 不幸な出来事が最初に訪れたのは、学会が破門されて十年ほど経った平成十三年です。

(1)母の死
 四国で学会支 部婦人部長の役職につき、家族の中でも学会活動に一番熱心だった母が、耐えられない頭痛に悩まされるようになりました。
 検査を受けたところ、脳に悪性の腫瘍が見つかりました。信じられないまさかのガンの宣告に、家族全員がたいへんなショックを受けました。
 宗門に対して強い敵対心を持ち、よく悪口を言っていた母は、そのうち脳腫瘍からくるl言語障害によりしゃべることすらできなくなり、衰弱していきました。ガン宣告後わずか一年でこの世を去りました。六十七歳という若さでした。
 私が見舞いに帰省する予定にしていた前日に母が亡くなり、最期を看取ることすらできませんでした。
 学会葬で行った母の葬儀に参列した親族からは、
 「創価学会やっていると幸せに長生きできるのと違うのか。葬式に僧侶もいないし、学会なんか早く止めたほうがいい」
 と異口同音に忠告を受けました。
 その時に同席していた学会幹部からは、「長生きしたからいい人生とは限らない。お母さんはこの世での務めを十分に果たしたから仏となったのであって、他人より不幸なことではない」と諭されましたがこれは詭弁だと息いました。しかしこの時は素直に言うことを聞くしかありませんでした。
 この時から、私は創価学会に対する疑いが芽生え始めていましたが、「疑うことは謗法」との学会の洗脳もあり、その気持ちを無理に封印していました。

(2)父の死
 さらに、伴侶を失った寂しさからか、父も次第に元気がなくなりへもともと患っていた肝臓が肝硬変になり、原因不明のまま母の後を追うようにわずか八カ月後に亡くなりました。
 担当医の「今日、明日どうにかなる状態ではないから」という言葉を信じ、四国の実家を後にした翌日のことでした。
 結局、私は両親二人共、最期を看取ることができませんでした。
 わずか一年の間に両親共に他界してしまうという信じられない出来事に、やり場のない深い悲しみが私を襲いました。

(3)仕事の行き詰まり
 同じ頃、仕事面でも辛いことが多くなりました。
 私の勤める会社は、度重なる不祥事により倒産寸前まで経営が悪化したため、外国企業の傘下となりました。
上司が突然ドイツ人となり、これまでとは全く違う慣れない部署での仕事に、心身共に疲弊していきました。
 その後、外国の企業にも見放された会社は、さらに厳しい状況となり、従業員の給与は激減しました。
子供の教育費などがかかる大切な時期に収入が減り、経済的にも今までに経験したことがない厳しさでしたが、家族のため、子供たちのため、耐えながらがんばりました。

!!やっと落ち着けると思いきや
 その甲斐もあって、二人の息子たちも大学生となり、やっと落ち着けるかと思ったのも束の間、今度は、その息子にも害毒が現われます。

(4)次男の異変
 遠方の大学に通う、まじめなはずの次男が、クラブ活動には参加するものの大学へは行っていないことが判りました。
 二年前のことでした。冬休みで帰ってきた次男に、
 「なぜ大学へ行かない。親の苦労が判らないのか。まじめに勉強しろ」
 と厳しく責めたところ、息子は死んだような目をして
 「大学へ行けない。講義に出ると胸が苦しくなる」
 と小さい声でつぶやくだけでした。それに腹を立てた私は、
 「甘えるな!親不幸者」
 と厳しく叱りつけましたが、息子はただポロポロと涙を流しながら、うつむいたままでした。
 この時、いろいろなことで苦しい思いをし、心に余裕のなくなっていた私は、息子の甘えたような行動がどうしても許せず、息子の気持ちを思いやることができませんでした。
 息子はそれから数カ月ほど大学へ行きましたが、やはり途中でだめになり、大学の学生相談室でカウンセリングを受けたところ、がんばり過ぎによる心の病であることが判りました。
 クラブ活動にだけ参加していたのは、怠けているのではなく、部活が唯一の心の拠り所になっていたことも判りました。
 厳しく責めて立てて無理に大学へ行かせたことが、息子を苦しめ、心の病を悪化させる結果となりました。`
 結局、息子は昨年の正月に帰省したあと、そのまま家で心の病の治療をすることとなりました。
 戻ってきてからは、ほとんど口を利かず部屋に引きこもるようになりました。
 そんな息子を見ながら何もできずに、ただ見守るだけの辛い日々が続きました。

(5)妻の心労
 特に子育ての責任を感じていた妻には、耐え難い苦しみがあったと思います。

(6)義父の死
 同じ頃、元自衛隊員で頼り甲斐のあった妻の父も、患っていた膵臓ガンが進行して亡くなりました。
 いつも明るい妻も、父親と息子、二重の悲しみで塞ぎ込むことが多くなっていました。

 このように私の大切な人たちが次々と不幸になる中でも、
「すべては私の宿業。まだまだ信心が足らない」
と、学会の謗法による害毒と気付くこともなく、学会活動に前向きに参加していました。

!!妹の脱会を機に見えてきたを真実
 しかし、一向によくなる兆しはなく、私自身も次第にやる気が失せ、この苦しみから逃れることはできませんでした。
 学会幹部にも相談しましたが、「学会に早く家族を入会させればよくなる」と言うだけで、新聞の契約拡大、選挙の票取り、広布基金と称する学会の資金集めに忙しく、真剣には取り合ってもらえませんでした。
 また、この時、同じよう悩みや不幸を抱えている学会員が多いことを改めて知ることとなりました。
 やはり昨年の一月、徐々に学会に対する不信感も大きくなり始めていた頃、私の妹から

 「私は日蓮正宗の信徒になった」

 との一通のメールがきました。
 実は妹も健康状態が優れず、嫁ぎ先の工場の火事や義父の大怪我と悪いことが続き、学会の謗法による害毒に苦しんだ末のことでした。

!!疑念の払拭
 この時も、学会から宗門の悪口をさんざん聞かされ洗脳されていた私は、「まさか宗門につくとは。早まったことをしたな」と、妹を非難することしかできませんでした。しかし、妹の言うことには不思議と説得力があり、徐々に私の心の中に変化が現われました。
 本当に正しいのはどちらなのかじっくり考えたくなり、自分でもインターネットなどでいろいろと調べていくうちに、いかに学会幹部が宗門のことについて嘘八百を並べて学会員を洗脳しているか、その真実がようやく見えるようになってきました。
 そして、宗門が正しいことを確信した私は、二月二日に、自ら久修寺に参詣する決心をしました。
 久しぶりにお寺に参詣し御本尊様を拝した時、不思議と何とも言えない懐かしさと暖かさを感じました。

!!そして入信
 その後、御住職・竹内誓道御尊師のお話を伺い、勧誡を受けさせていただき、晴れて日蓮正宗の信徒に戻ることができました。
 無事入仏式が終わった後、家の中が澄んだ空気に変わったような不思議な感覚がありました。
 それからは五座三座の正しい勤行と唱題を日々実践し、四月には、生まれて初めて登山もしました。
 初めて見る総本山は本当に荘厳でした。
 奉安堂で初めて本門戒壇の大御本尊様を拝した時の歓喜と感動は忘れられません。学会がよく「総本山は野犬がうろうろして、ペンペン草が生えている」と言っていましたが、それは全くの大嘘であることがよく判りました。

!!我が家に春の訪れ
 その後も毎月の御報恩御講や夏期講習会に参加していくうちに、徐々に功徳と思える現証が顕われ始めました。

 三月には、引きこもっていた次男が自らの意思でアルバイトをするようになり、四月には長男が早々と第一志望の会社から内定をもらいました。
 六月に久修寺で支部総会が開催された時は、壮年部員としてお手伝いさせていただき、この六月十五日、感動的な出来事がありました。
 学会を嫌って幸い学会に入会していなかった私の妻を誘い、お寺に迎え入れたところ、妻は初めてお寺の御本尊様を拝したとたんに、その目に涙があふれてきました。
 これまでずっと悲しみや苦しみを耐えてきたのが、御本尊様を拝したことで正直になり、自然に涙が出たのだと思います。
 その後、在勤の岩井行節御尊師のお話を伺い、御授戒を受け入信となりました。
 御授戒の間も妻は涙が止まらず、私はその光景を目の当たりにして、御本尊様の偉大さを改めて確信しました。

 その後も不思議なことが次々と起こりました。
 七月には広布推進会で会社の同じ職場の先輩と偶然、出会いました。
 その先輩は、多くの功績を上げ、仕事で困った時にいつも助けてくれる人柄のよい方で、私が職場で最も信頼している人です。何という不思議な縁でしょうか。先輩は仏土寺支部の法華講員で、同志でした。

!!あらゆる悩みが解決へ
 経済面でも、功徳としか思えない不思議なことがありました。
 同じ七月のとある日、不動産屋から突然、実家の買い手が見つかったとの連絡がありました。
 四国にある私の実家は十年以上空き家となっており、売りに出しても全く売れずに諦めていたところ、突然こちらの希望通りの売価で購入したいという方が現われました。遠方であるにも関わらず全くトラブルもなく、スムーズに取引ができました。

 さらに八月には、亡き両親へ初めて孟蘭盆の塔婆供養をしてお墓参りをしたところ、偶然にも本家の人と初めてお会いでき、管理に困っていた両親のお墓の世話をお願いできました。

 また、仕事の上でも信じられないことがありました。
 四年前から、経験のなかった仕事に変わり、何とか勤めてはいましたが、心中には自分の専門知識が生かせる研究の仕事に戻りたいという思いがずっとありました。しかし何も変わらず年月が過ぎていくだけで、
 「会社人生もこの仕事で終わりか」
 と諦めていました。ところが八月に突然、会社幹部から
 「新しい研究の仕事をやってくれないか。会社の中でこの仕事を引っ張っていけるのは白鳥さんしかいない」
 との、たいへん有り難い話があり、十月から、以前のような研究の仕事を任せてもらえるようになりました。
 現在は、従来の仕事との兼務という形で忙しくはなりましたが、楽しく充実しています。

 そして息子たちにも、感動するすばらしい出来事がありました。久修寺で行った妻の父親の一周忌の法事に次男をお寺に連れていったところ、岩井御尊師の温かいお人柄に触れ感ずるものがあったのか、少し気難しい次男が本人の意思で御授戒を受け、十一月二十三日に晴れて入信できました。

 以前の明るく前向きな姿に戻るにはまだ時間が必要ですが、アルバイト先ではまじめで仕事ができる信頼される人材となり、少しずつではありますが本来の姿を取り戻しつつあります。

!!そして家族全員が
 また十二月には、遠方の大学へ通っている長男が帰省した折、私が創価学会を脱会し、日蓮正宗の信徒になった経緯について真剣に話をし、息子にも御授戒を受けるように勧めたところ、すんなり承諾してくれました。
 そして十二月二十九日に、久修寺での餅つきでお寺に参詣し、御授戒を受け、晴れて入信となりました。

二月に私、六月に妻、十一月には次男、そして十二月に長男と、昨年一年間で家族四人が入信できました。昔からの願いでもあった一家和楽の信心が、この一年で現実のものとなり、今でも信じられません。

 そして平成二十七年は、ここ数年にはなかった幸福感に満ちた晴れやかな新年を一家揃って迎えることができました。

 一月三日には一家揃って登山をさせていただき、戒壇の大御本尊様に深く感謝申し上げました。
 正直なところ、勧誡を受けてから一年間で、これほどの功徳が現われるとは思ってもいませんでした。

 『祈祷抄』の、
「大地はさゝばはづるゝとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のかちびぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(御書[630頁|honshubou.main.jp/gosho/0630.htm]
「大地はさゝばはづるゝとも、虚空をつなぐ者はありとも、潮のかちびぬ事はありとも、日は西より出づるとも、法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(御書[630頁|http://honshubou.main.jp/gosho/0630.htm]

 との御金言の通り、私は大きな功徳を戴きました。正しい信心を強い気持ちで実践すれば、必ず御本尊様がよい方向に導いてくださることをこの一年間で確信しました。

!!創価学会の魔の手から学会員を救済しよう
 話は変わりますが、私は今でも近所の学会員と話をすることがあります。
 最近の話題はもっぱら、創価学会が本門戒壇の大御本尊様への信仰を否定したことです。
 学会員はよく「時代と共に変わるのが生きた宗教」などと言いますが、御本仏の御教えを、信徒でもない輩が勝手に変えていいはずがありません。このような暴挙に出た創価学会を厳しく破折することは当然ですが、古くからの学会員はかっての同志で、特に末端には人柄のよい純粋な人も多いのです。
 そのような学会員を悪知恵で騙し、口先で洗脳し続け、組織の発展と私利私欲しか考えていない創価学会幹部を私は許せません。
 その魔の手から、謗法まみれの中で苦しんでいる学会員を、慈悲の心で一人でも多く折伏して救うことこそが、私たちが本当にすべきことであると思います。それは、私のように元学会員として謗法の害毒に苦しんだ者の使命でもあります。
 その使命を果たすためにも、私自身が

 「法華講員となってよかった。日蓮正宗こそが正しい宗教である」

 と胸を張って言える実証を示していかなくてはならないとの決意でいます。
 法華講員としてはまだまだ未熟ですが、立宗七百六十三年「達成・出陣の年」の本年も、勤行・唱題を根本に、御法主日如上人猊下の御指南、御住職様の御指導のもと、先輩の講員の皆様と共に、自行化他の信心に遇進してまいります。
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