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長者窮子の譬え

長者窮子の譬


法華経には七つのたとえ話(法華七喩?)があって、その内の一つ。
信解品(開結186下-11)に説かれる。
大金持ちの長者には小さい頃に生き別れになった子供があって、長者はずっとその行方を追っていた。ある時、城の外に若者が歩いているのを見た長者はそれが生き別れの我が子であることを見抜き、家来にすぐにここへ連れてくる様命じた。
家来に連行された若者は、罪もないのに捕らえられ、命を取られるのではないかと脅え、気絶してしまった。
長者は一計を案じ、若者を放免し、家来を通じて卑しい仕事の世話をし、城で便所のくみ取りをさせた。若者は誠実に仕事に励み、徐々に昇格してついには城の番頭を任されるに至った。
その頃、長者は年老いて死に瀕しており、集まった家来親族一同の中、床に若者を呼んで、
実はおまえは私の生き別れた本当の子供だ。私の一切をおまえに相続する
と告げた、というお話。
この話の肝は、法華経以外の教えでは仏様は尊いけれども、修行者は仏自体にはなれない。
何故ならば法華経だけが成仏を説いているからである。
長者と若者は本来父子であるのに、親から離れた若者は、長者の息子であることを知らずに生長した。
これは本来誰しも仏性を持つ仏であるにも関わらず、我々は煩悩にまみれてそれを忘れている。
仏は何とかして我々を成仏させようと、教えを垂れるのだが、煩悩に染まりきった我々は疑いを持ったり反対したりしてそれを素直に受けることは出来ない。
故に長者は直ちに家業を継がせるのではなく、便所の汲み取りなど卑しい仕事を勧めて若者が喜んで仕事をする様仕向けた。
これは仏が方便の教えを設けて四十二年間に渡って人々の機根を練り、素直に成仏の教えを聞ける様に調熟してくれたことを表す。
若者が徐々に昇級し、家業の一切を任せられる様になると、長者は若者に父子の名乗りを告げる。
これは四十二年の方便の説の後、随自意の法華経を説かれたことを指す。
番頭として長者の金を数えていたつもりで居たのに、実はそれは自分自身の財産であった。
法華経成仏を許されるという思っても居なかった幸運に、若者は飢え死にしそうな所を王様のご馳走が供された様(無上宝聚不求自得 開結199)なものだと思った、ということが説かれている。


[説話,]

最終更新時間:2013年08月25日 12時37分30秒