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創価学会の非道

慧妙H12.09.16号3面より

 次の事例として、池田の『仏教史観を語る』について、法義上の疑問を感じた玉澤研済尊師の場合を見てみよう。

 「私が創価学会の呼び出しを受けたのは、ご承知の昭和五十二年の正月、聖教新聞に掲載された当時の会長池田大作氏の『仏教史観を語る』と題した記事の内容に関連したところの、学会および会長に対する悪口・批判と、聖教新聞の真実性をも疑った等の理由からである。」

 (玉澤研済尊師手記)手記の冒頭は、こういう書き出しで始まっている。

 要するに、『仏教史観を語る』に説かれている内容や、創価学会の路線に対して批判を加えたから「吊し上げ」の対象となった、というのである「吊し上げ」の実際は、次のような状況であったという。

 「(昭和五十二年)八月三日、北海道の富樫総務室長から突然呼び出し電話がかかってきた。『お時間をいただけるんでしたら、今夜赤会館で食事をしながら、ゆっくりと懇談をしたいと思いまして。それにお盆も近いのでお塔婆供養のこと等も合わせてお話し合いを』とのソフトな誘いであった。
     (中略)
 私は早速、野村支院長に電話を入れて、学会から塔婆供養のことで話があったかどうかを確かめてみた。もちろん『ノー』である。さらに日正寺様は即座に、『それは吊し上げだよ、何かいったのか』と心配をかけて下さり、さらに『絶対に逆らってはいけないよ、土下座までさせられる御時世だからね』と注意までうながしてくださった。なるほど、当時の宗門に対する学会の権力、圧力は強大なものであったからである。

 私は一度出家を志した者が、自らの間違いで還俗させられるのなら仕方がないが、増上慢の輩の犠牲となってはそれこそ犬死にだと思った。だから反論は絶対にしないことを心に決めて、支度を整え、夜の勤行を早めに済ませた上で迎えの車を待った。車は予定通り五時に来て、六時前に目的地の赤平会館に着いた。
     (中略)    
 『これから読み上げますから、それに間違いないか確認をとります。これはあなたが二人の学会員に話した内容のものです』と語気が強く、激しい。原田副会長は一項目ごとに確認をとり始めた。『この通りいったんですね、どうなんですか』といった調子である。
 私は寺を出る前に『何もいうのを止めよう』と心に決めたものの、やはりニュアンスの相違点もあったので、はじめのニ、三の項目に対して、『そういう意味ではない』とか、『そんなふうにはいっていない』など、反発をこころみたが、そのつど、学会側に強くはばまれてしまい、ついには『あんたはそれでも猊下の弟子か』、と学会に対する猊下のご厚意あるお言葉を一冊にまとめた、いわば学会用の日達上人のお言葉集を見せつけたり、『よく考えてみろ。このお経本(学会版)だって、本来なら池田会長を始め歴代会長の、宗門に対しての外護の忠誠の姿を見たならば、あんたたち宗門の方から歴代会長の報恩をこのようにしたらいかがでしょうか、と改める(観念文)べきなのに、我々の方からお伺いさせるなんてとんでもないことだ』等、大変な剣幕であった。
     (中略)    
 こんなぐあいだと、まだ何項目もある問題を終わらせるには相当の時聞がかかると思い、それからはすべて『ハイその通りです、全部いいました』と、全項目を認めたのである。
 それでも再度、各項目の確認をとらされて、最後に池田会長と空知圏の創価学会に詫び状を書かされてしまった。
     (中略)     
 そうした思い上がった彼らの姿を見るとき、実に腹立たしさを思ったものである。原田副会長は『あんたが否定するようなことがあってはと思い、証人二人呼んでおいたからこの二人にもあやまりなさい』と命令した。
 どこにいたのか、知らないが、呼ばれて出できた二人は『これから私達を迷わすことは、絶対にいわないでください』と、いきなりいってきた。私は情けなく思った。迷わされているのは自分たちであって、その張本人が池田大作氏であることをまったく知らない彼らに対して……。でも仕方なく手をついて二人に謝った。
     (中略)     
 帰りがけに原田副会長は『これからは選挙の時には、あんた個人の票で何票でも取ってきなさい、いいですね』と念を押した。そしてさらに、『御講の時、参詣の学会員にもあやまっておきなさい』と、念には念を入れた高慢さであった。
     (中略)     
 私は夏期講習会を休んだが、その時のお目通りの際、私の吊し上げられたことを、猊下がお話になったと聞いた。そしてもったいなくも、猊下には御心配されてか、直接お電話でその内容をお聞き遊ばされたのである。私は猊下に、自分の力なさと猊下の御心痛をわずらわせたことを、深くお詫び申し上げたのである。でも猊下には、こんな私にも力づけてくださったことは、終生忘れられないことである。

『何? 選挙の個人の票を何票でも取ってこいというのか、とんでもないことをいうやつだ。何をいっているんだ。馬鹿者が。選挙は自由だよ。なあ、そうだろう。こんどそんなことをいってきたら、はっきりことわりなさい』
と力強くおっしゃってくださいました。」(玉澤研済尊師手記)
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 日蓮正宗の伝統に背く学会版経本について、「宗門の方から学会にお伺いを立てるべきであった」などと言い掛かりをつけ、一介の青年部員に対して御僧侶に土下座までさせる――創価学会の倣慢・非道ぶりが際立っている。
 創価学会は「開かれた宗門になっていただきたい」などと、もっともそうな言葉を並べていたが、実際の行動は、御僧侶の人権をまったく無視した極悪非道の所業だったのである。
 そして、平成三年、第二次学会問題勃発当初、創価学会は「五十二年路線は単なる表現上の問題」と言ってのけた。しかし、このような「僧侶用し上げ事件」が「表現上の問題」かどうか、説明するまでもなかろう。
 学会員諸君は、今一度、創価学会の真実の姿を見つめ、脱会されんことを祈る。


 慧妙H12.09.16号3面より
[史料]

最終更新時間:2020年06月02日 11時45分28秒